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夕陽のガンマンのKSatのレビュー・感想・評価

夕陽のガンマン(1965年製作の映画)
4.2
言わずと知れたセルジオ・レオーネの名作。恥ずかしながら初見。セルジオ・コルブッチの「続・荒野の用心棒」ではなく、本作が「荒野の用心棒」の続編であることは言うまでもない。

前作ではイーストウッドが独りで街のギャングどもを一網打尽にしてしまったが、本作ではリー・ヴァン・クリーフ演じるライバルの賞金稼ぎとの対立と共闘という関係性が妙に粋であり、もはやイーストウッド独りの映画ではない。

いや、というかむしろ、ヴァン・クリーフこそ主役。

彼はかなりのキレ者として動いており、ともすれば良くも悪くもタフガイ一徹なイーストウッド以上に渋くて奥深い魅力を放っている。

さらに、ヴォランテのギャング連中も、裏切りや復讐、寝返りの嵐であり、二転三転するような人間関係の複雑さが際立つ。最終的にその先に「家族」というものを匂わせていくあたりは、後の大作「ウエスタン」にも繋がっていく。

不気味なオルゴール仕掛けの時計や何度も撃たれて夜空に舞い続ける帽子などの小道具も面白い。しかし、やはり、決闘場面でのカットの積み重ねによる時間の引き伸ばし、いわゆる「焦らし」こそが特筆すべきところであろう。伸ばしに伸ばされて放たれるアクションの効果は実用的で、その点においては教科書のよう。タランティーノも影響を受けている。

宿屋の女将と主人、列車の男、最初に殺される無法者、老人など、モブキャラがやたら漫画みたいにカリカチュアライズされた顔ばかりなのも可笑しいが、どう考えてもその筆頭はクラウス・キンスキーである。彼をあんなチョイ役として無駄遣いし、あっさり殺してしまった点について、レオーネを断罪する必要がある。

そして、重要な点。

本作でのイーストウッド演じる「名無しの男」の通り名はどう考えても字幕で出てくる発音だと不正確だが、日本人である我々はとある理由から「決して」正確に発音することができない。なぜなのかは、観たらわかるだろう。悲しいことに彼は通り名ですら呼びづらくなっているのだ。
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