劇中の「スコトマ、先入観が目を曇らせる」というサー・リーの言葉にあるように、私たちは様々なものを先入観に基づき見ている。世界の歴史を揺るがす謎に迫った『ダ・ヴィンチ・コード』は、そうした先入観に横槍を入れ、別の角度から歴史を見せてくれる。本作の歴史的信憑性についてはともかく、様々な通説、俗説、そして憶測などを組み合わせ、知的欲求を刺激するミステリーに仕立て上げたダン・ブラウンの力量は、素直に素晴らしいというしかないだろう。その映画化となると、やはり長く説明的にならざるを得ず、その割には上手くまとまっているのかなという印象。ただ、トム・ハンクス、オドレイ・トトゥ、両名とも原作のイメージとは違ったな…。
ルネサンスの万能人、レオナルド・ダ・ヴィンチの作品に込められた「暗号」を軸に展開する本作だが、サー・リーが滑らかに披露する《最後の晩餐》の解釈など、一度そう言われてしまうとそうとしか見えなくなってしまうから「先入観」というのは恐ろしい。宗教象徴学の権威であるラングドンも、様々な象徴の理解はそれが置かれた文脈によって変化するとしているが、私たち受け手は先入観や希望的憶測によって、それを自由に置き換えられるのだから、「真実」とは何なのだろうか。そうした余白を楽しむのが歴史を生業とする人たちなのだろうが、時として真実への強迫観念が人々を暴走させる。
さて本作の「主人公」はレオナルド・ダ・ヴィンチであるのは明白だが、目立たないながらも印象的だったのが反キリスト教的と見なされることも多いカラヴァッジォだ。冒頭でルーヴル美術館の中を暗殺者から逃げ回るソニエール館長が、アラームを鳴らすために壁から引き剥がし、その下敷きになったのはナポレオンがイタリアから持ち帰った《聖母の死》。溺死体をモデルに描かれたとも言われ、聖人らしさを欠くマリア像が教会という場所にふさわしくないという理由で注文主である修道士たちから受取拒否された曰く付きの作品は、神は人間か、あるは人間が神か、という本作の重要な議論に直結している。また、「評議会」が開かれる邸宅の一室には、ユダのキスを合図にローマ兵が襲いかかる《キリストの捕縛》が置かれている。いくつものコピーが制作されヨーロッパ中に散らばった本作が、フランスの古城に人知れず置かれている状況が「いかにも」な上に、キリストの大いなる真実を秘密裏に葬り去ろうとする「裏切り行為」(そしてまた本作は様々な裏切りに溢れている)を暗示している。レオナルド同様、ドラマチックな作品や生涯によって様々な小説や映画で取り上げられることの多いカラヴァッジォが、ここでもまた格別の存在感を放っており、深読みしたい鑑賞者たちにご馳走を用意していてくれる。
2017. 14