Hiroki

白雪姫のHirokiのレビュー・感想・評価

白雪姫(1937年製作の映画)
4.0
白雪姫,シンデレラを観る。クラッシックでしか得られない栄養があるなあ。

特に動物周りのコミカルなやり取りは、この時代特有のものがあって好き。白雪姫の方は動物の数がすごい。画面に常に10〜30匹くらいの動物がいて、これ全部手で描いたのかと思うとすごいとしかいいようがない。そういうところに熱量を感じる。シンデレラの方もネズミとネコのトムとジェリー的ドタバタアクションが面白いし、それが余計なシーンじゃなくて物語の重要なシーンに組み込まれてるんだというのが以外だった。白雪姫もシンデレラも半分は小動物を楽しむ映画。

白雪姫のラストシーンはセリフがないシーンだけれども、桜?が舞っていて春が来たのが分かって、「春がくれば〜」という歌詞を思い出して情緒を持って行かれた。感動的だった。前よりもロマンチックなものに斜に構えずに素直に感動に出来るようになった気がする。


とは言いつつ気になってしまったこと

白雪姫見た時も思ったけど、王子あまりにキャラクター性の感じられない空疎な存在として描かれるのだけが不思議でしょうがない。はっきり言って顔がハンサムなだけのつまらない魅力のかけらもない男に見えた。登場シーンも短ければセリフもない。王子様に人格付与すると夢が壊れるとかカエル化現象起こるとかそういうことなのだろうか。白馬の王子様は本当は存在しないのだからこれだけ中身のない記号的存在の方が、女性はそれぞれ自由に妄想して夢がみれるということなのだろうか。「こんな現実あったらいいな」というのはリアルの男はクソと暗に言っているとも読める。

よく白馬の王子様を待つプリンセスという物語の批判として、女性が男性にみそめられるのを待っている受動的な存在でしかないというのがあって、それは一般化された寓話としては最もな批判だとは思う。でも実際に映画を観ると、むしろ男の方こそ、人格のない記号的な存在としてモノ化されているように見えた。その意味では、当時としては進歩的であるのかなとすら思う。男性主人公に救い出されるためだけにいる記号化されたピーチ姫的なお姫様ではないのだから。前に書いた批判を白雪姫とかシンデレラの映画に当てはめるのは少し無理があるような気がするというのが発見だった。

そしてディズニールネサンスと呼ばれる時代のプリンセスが主体性を持った女性に変わったというけれど、それは同時に人格を持った王子様の登場でもあったのかなと思う。
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