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シナのルーレットのnetfilmsのレビュー・感想・評価

シナのルーレット(1976年製作の映画)
3.7
 女(マーギット・カーステンゼン)は窓越しにもたれかかり、マーラーの交響曲第8番『千人の交響曲』をじっと聞きながら、「良い曲ね」と後ろに佇んでいる娘の方を振り返りながらふいに声をかける。この見つめる娘と見つめ返す母親の図式は『不安が不安』以降のファスビンダー作品の根底にある重要なルックである。それどころかじっと窓の外を見つめる主人公の構図は繰り返し用いられてきた。ファスビンダー作品では見つめることは精神が弱り始めていることを意味する。加えて言えば、ファスビンダー作品では常に家庭に生まれる我が子は息子ではなく、娘なのである。いかにも聡明そうな娘アンジェラ(アンドレア・ショーバー)は両腕に杖がなければバランスが取れない。身体障害者の娘が、健常者の母親を不安げな眼差しで見つめている導入部分の不穏さはそのまま親子関係の不和に通じる。ドアを開けた途端、父親ゲアハルト(アレクサンダー・アラーゾン)の威勢の良い掛け声が聞こえ、彼は週末をパリの別荘で過ごすと言い残し、妻と娘を置いて部屋を出て行く。その言葉に嘘はないと信じたいが、空港ロビーでのイレーヌ(アンナ・カリーナ)との熱い抱擁とその後の危険なドライブがより一層不穏さを掻き立てる。やがて2人はある豪華な別荘へとたどり着く。

かくして父親の妻・娘不在の際の身勝手な裏切り行為は着々と進行する。森の中で愛を確かめ合った後、別荘に戻った不倫中の2人は愛想のない管理人カスト(ブリギッテ・ミーラ)とその息子で詩人志望のガブリエル(フォルカー・シュペングラー)の実に軽薄な歓待を受けることになる。詩人志望でゲアハルトに取り入る気満々のガブリエルは彼らの不貞に目を瞑る素振りを見せるが、母親のカストには彼らの行為がとにかく醜悪で不潔なものとしか見えていない。ブルジョワジーなクリスト一家に対し、彼女の向ける目はただひたすら冷たい。それは娘アンジェラに対しても同様である。カストの入れ知恵かそれとも崩壊の序章なのか、夫と妻がそれぞれのパートナーを従えて別荘でばったりと鉢合わせする様子は実に醜悪でえげつない。彼らはふいに現れた事実に怯え、悶える。それを娘が見たときにどう思うのかをまったく想像していない様子がまた実に醜悪でふてぶてしい。だがそこにもう一台の車がやって来る。車を降りて出て来るのは娘のアンジェラであり、口をきけない家政婦のトラウニッツ(マシャ・メリル)である。その様子をカストはほくそ笑みながら見つめている。ブルジョワジーの家庭に起きようとしている決定的修羅場をカストは楽しんでいるのである。

今作はこれまで数多くのファスビンダー作品を手がけてきたペーター・ミューラー、ミヒャエル・バルハウスによる美術装飾の最高傑作に推す声が多い。中期ファスビンダーのルックを決定付けた鏡の中のイメージの凝視を成立しうる印象的な鏡の配置、一見無造作に見えるディスプレイの配置の妙、アメリカ人形の冷酷さ、チェス卓、葉巻、スカーフなどの小物に至る細部の道具立て、そして何と言っても室内とは思えないミヒャエル・バウハウスの機動力豊かなカメラが織りなす心理的サスペンスは、今作でその頂点に達していると断言し得る完璧さを誇る。娘からのシナのルーレット・ゲームをやろうという突然の提案から、彼らの醜い欲望が徐々に露わになっていく様子を、演劇的な俳優の動きとある意味完璧なショット構成と美術が相互に化学反応を起こしながら、来るべきクライマックスまでの息詰まるような心理戦を盛り上げていく。今作において冷徹な頭脳戦を制するのは脚の不自由な娘であり、彼女の恐るべき恨みが込められた私怨の犠牲になるのはマーギット・カーステンゼン扮する母親に他ならない。女が女に向けた侮蔑の表情、それも実の娘に向けられた侮蔑の視線に母親は耐えることが出来ず、突発的な暴力に打って出る。だがその判断が皮肉にも、夫婦の再生を催すことになる。例によって陰惨なラストもさることながら、まだここでも盗作問題に端を発する完璧主義者ファスビンダーの病理は根深い。ラストの結婚宣誓書と宗教行列はファスビンダー流の醜悪な皮肉が内包されている。劇中歌のクラフトワーク『放射能』も強烈だが、アンナ・カリーナとマーシャ・メリルの大胆な起用にも、初期衝動に立ち戻りたいが戻れないファスビンダーのアンビバレントな感情が滲む。


今日で区切りの連載開始から100本目を無事迎えることが出来ました。いつも読んで下さっている皆様にあらためて感謝・御礼申し上げます。今年の元旦から「1日1本入魂レビュー」と称してアップを始めましたが、先月からは「人気ユーザー50人」にも連続で選ばれ、お陰様でフォロワー数も1000人を超えました。いつも皆さんから頂いている「いいね!」に励まされています。ありがとうございます。Filmarksを始めたことで、同じ映画でも人によって様々な見方があるものだなぁとしみじみ思うようになりました。フォローしている方のレビューから自分にない視点を得られる瞬間がFilmarksの醍醐味だと感じます。後付けになりますが、点数に関してはあくまで「目安程度」に据えて頂ければ幸いです。私自身は点数で優劣を付けるものではなく、その作品の雰囲気・質感にどれだけ呼応したレビューが書けるかに毎回挑戦しています。自分の人生ベスト1はこれから観る映画にあると信じるようなロマンチストのレビューをいつも最後まで読んで下さり、まことにありがとうございます。今後とも間口の広さだけを信条に、様々なジャンルに切り込んでいく所存です。これからも宜しくお願い申し上げます。
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