いののん

夕陽のギャングたちのいののんのレビュー・感想・評価

夕陽のギャングたち(1971年製作の映画)
4.2
「だから俺に革命の話はしないでくれ。
これからだって同じことの繰り返しだ。」


革命も戦争も、所詮はおなじこと。どちらにしたって。上に立つ者は頭脳を働かせることこそ偉いと思っていて、汗臭い労働を軽くみている。人を見下して生きている。バカをみるのはいつだって貧しい者たちだ。犠牲になるのは、いつだって名もなき者たちだ。俺は、革命なんかよりも・・・


メキシコ革命時。
山賊で子だくさんの父ちゃん→革命に巻き込まれていく男:フアン(ロッド・スタイガー)と、アイルランドから逃れてメキシコで革命に関わる爆破のプロフェッショナル:ジョン(ジェームズ・コバーン)。この、男2人の出会いとその後を描く。夢、喪失、犠牲、代償。


フアンの、否応なしに巻き込まれてく感。革命なんて望んでないし、英雄ってなんすかそれは。それでよかったのに。ただ銀行を襲って大金を手に入れられたらナイスって思っただけだったのに。アリにおしっこかけて、立派なイチモツを時々使って、子どもたちや自分の父ちゃんと一緒に、山賊して、わーはっはっはっ!って、それで良かったのに。いったい、俺は、どうすりゃいいんだ?


対するジョン。登場シーンからめちゃクール! 生成りのコートが最高に格好いい。やっぱり男の登場は、コートに限るぜ。死なんて恐れちゃいない。もう、生きてても死んでても、どっちだっていい。過去にとらわれ、過去の記憶に苦悩するサマを、無口に、それでいて豊かに物語る。


この、主役2人が最高にイイ。見てくれも、ここに至る経緯も、対照的な2人。この2人が互いに、信頼と敬意を寄せ合っていく過程が見事だ。


そして、もうひとつの主役がダイナマイト。駅馬車、銀行、橋、列車。爆破の美しいことと言ったらそりゃあもう! 爆破の瞬間と、その後に湧き上がる静かな余韻。土埃や、巻き上がる炎。モリコーネ大先生の美しいメロディ。


モリコーネ大先生のメロディは、美しくエモーショナルなだけじゃない。様々なバリエーションのションションショ-ン。それに、ぐわっ、ぐわっ、ぐわっ、もある。さらに、ぐわっ、ぐわっ、ぐわっ、に、モーツァルトの有名な曲まで入れてくるという匠の技。



革命を、単純にYesとは描かなかった本作品。それはレオーネの苦悩でもあるのだろう。しかしそのことは、むしろ女性には、迷いなく、そのまま受け入れられるものだと思う(一般的なことはよくわからないけど、少なくとも私には)。そして、現在の方が、よりすんなりと受け入れられる内容じゃないかとも思うのだ。だから、私からの提案なのですが、パッケージを2種類にしてみたらどうでしょうか? 


初めて観るジェームズ・コバーン。ジャケから受ける印象と全然違う! 彼はこんなに眉毛が太くないし、口髭もこんな、お盛んじゃない。髪の毛だってうっとりするグレーだ。イーストウッドにあやかってるように見えるジャケは良くないと思う。ジェームズ・コバーンに失礼じゃないかっ。今やオッサンの時代。ちょっと枯れ始めているジェームズ・コバーンにジャケを変えたら、バカ売れするはず!(多分)
試しに、ここはひとつ、やってみてくださいませんでしょうか?(提案)
それで、ホントに売れたら、その時には・・・、(妄想中)
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