YasujiOshiba

カビリアのYasujiOshibaのレビュー・感想・評価

カビリア(1914年製作の映画)
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イタリア版DVDにて。なんとこの映画については8年前に話をしていたんだな。そのときのブログをリンク: https://hgkmsn.hatenablog.com/entry/2013/07/06/232822

今年は7月に「ダンヌンツィオの叙事詩:『カビリア』」と題してオンラインセミナーをやった。実にいろいろな発見があった。当時のダンヌンツィオが借金で首が回らなくなっていたとか、そんな人気作家を口説いたパストローネが実に多彩な人で、映画会社を経営し監督や脚本、さらには移動撮影の特許まで取っていたこととか。

この映画がを出発点にして怪力男の「マチステ」シリーズが始まり、それがペプラム映画(サンダル史劇)を経て、やがてタラちゃんとロドリゲスの「マチューテ」へとつながるとか(ちょっと違ってた…😅)。

「カビリア」という女性の聞き慣れない名前を(おそらくはセム語の kabir 「偉大な」「力強い」に由来する言葉として)発明したのがダンヌンツィオで、その名前をフェリーニが『白い酋長』や『カビリアの夜』で蘇らせたこと。

そして、サイレント映画なのに映画音楽が作曲された作品であることなど、そりゃもういろいろ。

でも1番の発見は、それまでは動く写真であり、あっと驚くような映像の力で観客をもてなす「アトラクション」であった映画(@アンドレ・ゴドロー)が、それ以上のなにものかになろうと模索していた時代の映画だということ。

つまり、今でこそ当たり前だけど、その映像によって物語を語るような「かたり racconto 」の映画への過渡期を示すのが、この『カビリア』という映画だったのだということなんだよね。

ようするにディズニーランドのアトラクションとしても素晴らしいし、大いなる物語に酔いしれることもできるオペラのような娯楽でもあるということ。なにしろイタリアにはその伝統があり、そのための劇場があったから、場末のニッケルオデオンの見世物ようなものには終わらなかったということなのかもしれない。

そんな歴史的な背景が、ニッケルオデオンの国アメリカで映画を撮っていたグリフィスをぶっとばしたということもできるのだろう(cf.タヴィアーニ兄弟『グッド・モーニング・バビロニア』1987)。

歴史的背景といえば、タヴィアーニ兄弟がきちんと描いて見せてくれるように、この映画が1914年に公開されたというのも象徴的。なにしろそれは、ヨーロッパが昨日の時代から今日の時代へと移る変わる過渡期(第一次世界大戦)の直前なのだから。

そして『カビリア』の物語の歴史的背景が、第2次ポエニ戦争という地中海の覇権が北アフリカから南ヨーロッパへと移り変わる時代だというのも、なんだか考えさせられてしまう。

いやはや、なんともすごい映画でございました。
YasujiOshiba

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