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さらば、わが愛 覇王別姫のmayのネタバレレビュー・内容・結末

さらば、わが愛 覇王別姫(1993年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

11年ぶりの、2人の舞台。時々によって移り変わる権力者たちの前で、権力者たちのために舞ってきた2人が、誰に見せるわけでもなく、2人だけのために舞う。

蝶衣は、現実の生活も、舞台の延長線上のように暮らした。遊郭(おそらく子どもはすべて「女の子」として育てられた場所)で育ち、女形として演じたから、性自認が揺らいでいたということもあるかもしれないけれど、なによりも、舞台の世界が幸せだったのだと思う。小楼が演じる覇王に寵愛されていて、王のために殉死するくらいの真っ直ぐな愛があって。
舞台を降りても、「小豆子」ではない「蝶衣」は、みんなから愛されて羨望されるスターだったから。虚構の世界を生きることで、自分の世界を、自分の居場所を、自分の存在価値を、守っていたのかもしれない。

さまざまなことが既に過ぎ去って、さまざまなことが失われた。11年ぶりのふたりの舞台。蝶衣は虞姫のままだったけれど、小楼は覇王を失いかけていた。もう石頭ではなくなってしまった、弱い、ただのひとりの人間に見えた。演じながら、俺たちも老いたな、体力がもたない、と笑いながら小楼は言うけれど、隣の蝶衣は何も言わなかった。舞台の上に現実世界が侵入してくる。「さらば、わが愛」。蝶衣は、自らの小楼への愛がすこしでも失われてしまう前に、この愛を永遠にしたまま、別れを告げたかったのかもしれない。蝶衣は、最期に、幼い頃、幾度も間違えていた台詞を正しく発する。彼が舞台と現実をはっきり区別するとき、それはきっと、全てを受け入れたときなのだ。区別をした上で、虞姫として舞って、覇王の前で死ぬ。小楼がまだ覇王であるうちに。
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