真田ピロシキ

蒲田行進曲の真田ピロシキのレビュー・感想・評価

蒲田行進曲(1982年製作の映画)
3.9
改めて見ても銀四郎は到底好感を抱けない人間だ。小夏は純粋な子供がそのまま大人になったようとポジティブに言うが、作中の振る舞いを見るとネガティブな意味以外では捉えられない自己中心的な奴でしかない。身重の自分を子分に押し付けるという最低の行為をされてもなお小夏が長らく未練を持っていたのは男性には分からない女性心理なのかもしれないが(男に都合の良い女像と思うけど)、ヤスが打算抜きであそこまで兄貴分として慕えるのは本当に理解し難い。対して階段落ちを志願したヤスに対して銀四郎がドン引きして目を逸らす方が分かる気がする。銀四郎は「最近じゃ誰も脇役に入りたがらねえ」と言っていたように人望のなさは自覚していたので、銀四郎にまで死亡保険金3000万渡すつもりだったヤスには戸惑うだろう。1982年なら熱い兄弟分の関係として通じたのかもしれないが、今見るとヤスはちょっとホラー。小夏に対しても夫婦として距離が縮まると同時に手が出るようになるのは現代では恐るべき存在としてしか描かれ得ないもので、小夏がそんな関係すら愛おしく感じてるのが更に闇深い。

そんな今では撮れない映画であるが、マイナスポイントだけでは測れない。ヤスの無謀な階段落ちは当人が志願しようと突っぱねるべきものなのは間違いないが、今でもトム・クルーズの無茶なスタントに喝采を送られるように過激な生身のアクションを求める声は大きくて、そういう願望を持ってる人ならば本作の馬鹿げた活動屋精神を一概に否定はできずロマンを感じないだろうか。また大部屋俳優のように映画界の縁の下を支える名もない人達にスポットライトを当てているのが心憎い所で「ヤスさん相手ならやりやすい」とゲストの志穂美悦子に言わせてたりして彼らの働きを評価してみせる。斬られ役と言えば福本清三が有名であるが本作にも出てて、本当にこの映画のように大部屋俳優が脚光を浴びたと思うと感慨深い。それとヤスが小夏を連れて行った故郷人吉で元スターの小夏に対して町を上げての大歓待がされるのも、そこまでの熱気を映画に向けられていた在りし日を羨む人がいるのではないか。ジェンダーはダメダメすぎるがファンタジックとも言える映画への夢は詰まっていてそこが今もなお惹きつける要因と言える。

先述したように銀四郎は最低の人間であるが、階段落ちを決行したヤスに対して登ってくるよう呼びかけるシーンはそれまでの所業を忘れさせて良い兄貴の顔を初めて見せるズルい奴だ。この映画自体ダメな点を魅力的な点で豪快に相殺していくタイプで、銀四郎は主要人物としてそんな映画を体現しているとも感じられる。優等生的な映画だとこの味わいは出せないよなあ。