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ホープさん サラリーマン虎の巻
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『ホープさん サラリーマン虎の巻』に投稿された感想・評価

Akiramovie

Akiramovieの感想・評価

3.8
何といっても、コメディ調作品の主役は、志村喬演じる サラリーマン社長と娘(関千恵子)。
移動中に、"西洋料理を箸で食べる夢"を見る社長。
前社長との突然の再会でのフットワークの軽やかな社長。
社員を対象に婚活する社長の娘。

こんなことで、会社が成立していることが"大企業"たる仕組みであり、社長・重役以下社員まで余り働いていないことに笑える。
サラリーマンが、随行と称して社長の身の回りの世話をさせられたり、社費で出張先で芸者と遊んだりとお気楽な商売であり、忖度だけで出世する人生ゲームの構図。

・財閥解体と公職追放
・会社に給仕なるものが雑用を行う職制(映画でも初めて見る)
・学校みたいな職場の座席配置
・課長が個室を持つ部署と役員部相部屋の社長席 
・駅弁の購入に"外食券"なるものが必要とされる制度の時代

ただ、秘書課長を陥れて後釜に座るも恋人に軽蔑され、妙な余韻も世の中こんあもんですよ!での、エンド。
入社試験まで付いてきた田舎の母は、息子の昇進に祝電を送る。

<キャスト>
主人公 風間京太:小林桂樹
田端先輩:伊沢一郎
茂木秘書課課長:東野英治郎
茂木若子(娘):高千穂ひづる
茂木一郎(兄):大森義夫
秋庭社長:志村喬
社長夫人:沢村貞子
社長の娘恵美子:関千恵子
吉川前社長:小川虎之助
給士大助:井上大助
芸者ひょうたん:花柳小菊

国立アーカーブ 小ホール 2022/8/16
 恐るべし、といかにも無色透明無害無個性に見えかねない、この作家の天才と実力を思い知る。セットもかなりショボいし、主演は東宝で固めてるわけでもないし、会社が総力を挙げての·真逆近くにある作品だが(そもそも東宝争議から社の体制も完全には戻ってなかった頃か)、シナリオもキャラ作りも構図もカメラワークも、最善·誠実·奢りない·多面性カバーの作となってる。本当の都会人の矜持というのか、偏りなさ·熱弁排しが、田舎者そのものの私には、手の届かぬ自然なまぶしさに映る。彼からしたら黒澤も(秋田色の)田舎者の愚の塊りに見えておかしくないが、決してそういう事への軽蔑には向かわない、真のハイクラス。
 何かあると直ぐ心臓がバクバク痛む、小心も真っ正直な、六大学?野球部の控え選手だった、元解体財閥の中心大企業への新入社員の、迂闊さと誠実さを、悪意なく無我夢中で行き来しながら、の会社員生活。ライバル社対抗野球戦での勝利導き、それによる社長と令嬢の肝いりに、社長の東北視察の随行員抜擢、新潟の芸者の扱い~社長と夫人の思惑預かり、公職追放だった創始者同族·前ワンマン社長復帰での大量首切り人事、を経ていつしか異例出世もむしろ、その顔に残るは苦々しさだけ。
 偶然や不用意さが、寮の同室の先輩や、恋人の父の仕事を奪い、離職に追い込むこともあり、恋も失う。ドロップアウト、「理想に甘え現実の厳しさに負けた」恋人の兄に偶然出会っての(家族は死んだ事にしてた)、「嘘を生きるより今が満足」とニヒルに言い放たれる凄み(主人公の痼りとして残る)や、現社長一家の騒動の種の強かな芸者は去るとき「女1人で世を生き抜くは並大抵では。病身の母を抱えてなければ自殺してた。貴方は本当にいい人。それでは済まない。勉強して、出世を」と言い置く(主人公も最終的に味方=重しは母だけとなる)、メインストーリーをはみ出たクールさも並行してゆく。
 列車と駅絡みロケも見事だが、メインシンプルな大小フロア·長大廊下·階段らの本社ビルセット·構図だが、階層·縦社会と競争論理の不可逆的·根っこは不動の保守性と確実にリンクし、廊下にへばり付いて磨く清掃人から、重役オンリーの洗面所や廊下の組込まれ、上階から真俯瞰見下し屋外、らが、挨拶回り·駆けつけ·転がり慌てなどでの、人の(垂直)出入り·動きに沿う直截なカッティング(序盤では足早のDISやWIPEにも)で示され、フォローや寄る·退くにも状況の周り人配置の締付け絡めた、膨らみとパースペクティブを持ち続けてる。それが極限に達すると揺れブレながらの速く長いフィット移動ともなり、護りより破りにも働きかねない。そして、立場フリーの屋外ダンス大会への2人の参加では、人の強引さ抱えてもの動き·配置の独自とバランスの両立柔軟受皿·ある種ジャンプカット的カット積みらのリズム·ダイナミズム醸しらが、逆に人間らの主体内部からの纏まりながらも動く何かが予測不能で描きだされる。黒澤がどう撮っても違ってこない本物の世界を先ず作り上げるを一義にしたが、山本はカメラと編集主体に映画を感じさせない、敢えて薄っぺら加えての進行に、疑問·不安呼込みをよしとする。黒澤以上の天才だったかもしれない(そもそも黒澤自体が天才タイプではないが)。
 増村の『巨人と~』は強引なまでの腕力が感じられたが、そのある種先駆的な本作は、センスと慎ましさしか、踏んでない積立ての結果が、ちと凄い。
【しまいにゃクビよ】142

三木鶏郎ファンとして、「ホープさん」の歌が映画で聴けたのは単純にうれしい。ただ全編、同曲のアレンジ、変奏だったので、それはちょっとさみしい。
舞台となるは丸の内の大企業、昭和鉱業庶務課。かなりたくさん人がいるのに、電話が全体でひとつしかない。みんな机の上に何もない。これを見ると海山商事があんなかんじなのがとてもうなづける。
たぶん当時はまだ、ホワイトカラーってあまり仕事なかったんだよね。朝鮮特需のころだけどまだモーレツサラリーマンなんて言葉はなかったし、みんな残業なんかしないで、夕ぐれどきにはもうペラッペラのカバンもって駅から家に向かう路地を歩いてる。うちに帰って和服に着替えて家族でご飯たべてる。ちょーううらやましい。
主人公の新入社員、小林桂樹も、顧客のお迎えとか、社長漫遊の随伴とか、社長と愛人(花柳小菊いい感じ)と社長夫人と令嬢の間で右往左往するとか、なんだそりゃってな仕事しかしてないので、のちのサラリーマンもの、組織もの映画の嚆矢というより、どたばた人情ものの趣。なんといっても一番盛りあがっているシーンが、秘書部長の娘かつ同僚の高千穂ひづるとの、かなりの尺を使ってのスクエアダンスだからねー。
とはいえいろいろあって、小林桂樹は苦い失敗を経て世知をまとい、組織の論理に取り込まれていく。でも、お父さんが退職に追い込まれる理由を作っちゃったとは言え、悪気ではないし、どうせあと一年で定年だし、高千穂ひづるはそんなに怒らなくていいのになーと思ってしまった。