しゅんまつもと

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Qのしゅんまつもとのレビュー・感想・評価

3.9
ひねくれでもなんでもなく、旧劇からのシリーズを通して今作が一番好きかもしれない。
それはやはり今作が「作ること」に向き合った物語だったから。
「キミ」か「セカイ」かの選択でキミを選んだ破のラストからして、舞台がめちゃくちゃに壊れてしまった世界になるのは必然であって、その壊れた世界に庵野秀明という作家は向き合わざるを得なかった。
それはceroというバンドが「WORLD RECORD」、「My Lost City」、いう二枚のアルバムをもって自分たちの創造した世界への折り合いをつけたこと(シティポップの再定義)とも重なる。
両者とも過程に2011年、震災が起きた年を経ているのは偶然ではなく必然であろう。
つまり”自分の手で壊してしまった世界とどう向き合うのか“ということがこの映画の主題であるだろうし、それは重ねて”過去のエヴァンゲリオンと向きあうこと“にもなる。

ターミナルドグマへと下降する過程に蔓延る「インフィニティのなりそこない」と呼ばれる残骸は、エヴァを模倣した幾つものロボットアニメのメタファーか、あるいは作家の脳内で生まれては壊されるアイデアの集合と捉えても面白い。

その底にはまたしても無数の骸が連なり、頂には二本の槍が刺さっている。
世界を再生するつもりでシンジが引き抜いた槍はまたしても世界の崩壊を生んでしまう。

ここでいう世界の崩壊の真の姿を考えてみる。
90年代を代表とするカルチャーであり、(敢えて使いますが)「オタク文化」を醸成する一つのきっかけになったであろうエヴァにはきっとその功罪の<罪>も色濃く残っているだろう。これは想像の域を出ないけれど、物語がトリガーとなって現実に悲劇を生んでしまうことは悲しいけれど実際に起きているし、それはエヴァほど巨大なものであれば、やはり例外ではないだろう。
もっとライトに捉えるとすれば、肥大化したファンの期待を裏切り失望されること、と見てもいい。

産み続ければ、書き続ければ、世界を崩壊させてしまう。悲劇を生んでしまう。期待を裏切ってしまう。という葛藤が痛々しいほどにQには刻まれている。

しかし、今作のラストが残すほんの僅かな、微かな希望の光は「それでも作り続けるしかない」という想いに感じる。
この潰えてしまいそうな光を少しずつ拡張し確かなものにしていったのが、まぎれもなくその後の2013年『風立ちぬ』と2016年『シン・ゴジラ』の二作なのでは、ということで以下エヴァ/庵野秀明という側面から見た2作品レビュー。


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宮崎駿/風立ちぬ
かつての師であった宮崎駿は「現代で一番傷つきながら生きていることが出て、ギザギザした声がいい」という理由で庵野秀明を呼びつけて主人公である堀越二郎を演じさせた。
主人公である堀越二郎は飛行機を作ることが何よりの生きがいであるが、二郎が設計した飛行機は爆撃機となり多くの人の命を奪う。
この映画はあらゆる「正しくないこと」で満ちている。先に挙げた(結果的に)爆撃機をつくることにはじまり、結核を患う愛する人の横で煙草を吸うことやサナトリウムを抜け出すことは、一般的に見れば正しくないことと言えるだろう。
しかし、それでも「美しいもの」を作ること、ひいては「美しく生きようとすること」を人はやめられない。それが決して正しくないとしても。
この意思が根底にある物語の上で、堀越二郎を庵野秀明に演じさせるというのは、図ってか図らずかQ後の庵野秀明の創作へ向かう背中を強く押すきっかけになったのでは。

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庵野秀明/シン・ゴジラ
「ゴジラを倒すこと」が「ゴジラを作ること」とイコールとして見るとしたら、限られた時間と予算ではじかれ者たちが知恵を結集する姿はやはりアニメスタジオのそれに重なる。しかしその裏では頭を下げて納期を延ばしてくれている人がいたり、コネクションで企画を推進する人もいたりと外に視線が向いているのも良い。
特に今見るとより印象に残るのが「10年後」というキーワード。
「僕が10年後に総理になるより、10年先もこの国を残すことが重要だ。この国には有能な若い人材が官民に残っている。」
"この国"とは単に日本というだけではなく、"アニメカルチャー"と捉えてもいいだろう。

それに加えて、解析データを国内外を問わず技術者たちに拡散し協力を仰いでいくシーンと、カヨコと矢口のこの会話。
「でも、この国で好きを通すのは難しい」
「ああ。僕一人じゃな。」
ネット黎明期にエヴァンゲリオンが、庵野秀明があまりに孤高だったが故に相応の孤独な戦いを強いられ、アニメ界内部でも分断があったというののは自分の想像。しかし新劇場版の制作開始当初の所信表明では庵野秀明はこんなことを語っている。

10年以上昔のタイトルをなぜ今更、とも思います。
エヴァはもう古い、 とも感じます。
しかし、この12年間エヴァより新しいアニメはありませんでした。

エヴァQで再び、創作するが故の苦しみの底にどん詰まってしまった庵野秀明の背中を押したのは、かつての師であり、チームであり、90年代の旧劇時にはおそらくいなかった次世代の若きクリエイターたちだったのではないだろうか。

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だからこそ視線は10年後、次の世代、若い世代へと注がれていくだろうし、「シン・エヴァンゲリオン」はひどく閉じた世界であったエヴァンゲリオンを解放(開放)していく物語になっていくのではないかと予想する。
「逃げちゃダメだ」の先にあったのは「逃げた先でもう一度新しい世界を作ればいい」と言ってくれる物語であると、自分は信じたい。