櫻イミト

愛のさすらいの櫻イミトのレビュー・感想・評価

愛のさすらい(1971年製作の映画)
4.0
あらゆるものが申し分ないという女性を描き、ある状況の彼女の肖像を作りたかった。結果において、私は恐ろしく具体的なディティールの経験に没頭することになった。そこから物語は成長し、その背景なしで物語は不可能だっただろう――イングマール・ベルイマン

ベルイマン監督の初めてのアメリカ資本の英語作品。ベルイマンにとって初めてのアメリカ人キャストとして、前年の「…YOU…(ゲッティング・ストレート)」を観た上でエリオット・グールドを指名した。原題は「The touch(ザ・タッチ=接触)」。

秋のスウェーデン。病院に駆け付けたカーリン(ビビ・アンデション)は母の死に目に遭えず悲しみに暮れる。通りがかりの男デヴィッド(エリオット・グールド)が慰めるが涙が止まらない。偶然にもデヴィッドはカーリンの夫(マックス・フォン・シドー)の歴史研究の同僚で、最近イギリスから来たばかりだった。カーリンは夫と二人の子供と共に安定した生活を続けていたが、デヴィッドの強引なアプローチから不倫関係に陥る。精神的に不安定なデヴィッドはホロコーストで親兄弟全員を殺された過去を告白するのだが。。。

公開当時、アメリカでは不評でスウェーデンでは好評だった。この結果が本作を象徴している。異なる価値観の“接触”を描くことが本作の主旨だったと思う。まず、ベルイマン常連俳優の二人と、ヒッピー髭のエリオット・グールドが並んだ時の違和感が凄い。このためにグールドを配役指名したのは間違いないだろう(製作のABC社からポール・ニューマン、ダスティン・ホフマンも提案されていた)。伝統を重んじながらも母の喪失から不倫になびくヒロイン。ひたすら彼女を奪おうとしホロコーストさえ手段(妹の存在で虚言だったことが示される?)とする男。二人は古いマリア像の元で触れ合い、再びマリア像に対した時に価値観の違いを露呈する。その時ヒロインは受胎しているが誰の子かはわからない。まるで、この接触の結果として背負った刻印のように見える。

本作では異文化の上下や善悪を示すものではなく、ベルイマンのテーマのひとつである“人間関係に伴う困難さ”の一例を描いたと受け取れる。しかし穿った見方をすれば、当時べトナム戦争の当事者だったアメリカを批評しているように思えるし、そのように観ると内容が腑に落ちる。ならばアメリカで不評なのは当然だろう。逆から見たら、異物としてのグールドがキャスティングされたことでべルイマン監督の世界が客観化され、結果として自己批評が成立しているのも興味深い。

映像も構成もベルイマン流でありながら、現実世界のグローバルな視点を取り入れた異色作。個人的には非常に面白かった。隠れた傑作だと思う。

※ラストカットは前作「沈黙の島」(1969)と同じである。そのナレーションを借りて「彼は今、エリオット・グールドになった」と当てるとわかりやすい・・・。

※「第七の封印」(1957)からの常連俳優マックス・フォン・シドーの最後のベルイマン作品。

※製作はABC(アメリカン・ブロード・キャスティング)映画社
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