雨虎

チャーリーとチョコレート工場の雨虎のネタバレレビュー・内容・結末

3.8

このレビューはネタバレを含みます

この作品ではファンタジーな部分とリアリティのある部分の両方が盛り込まれており、特にチョコレート工場はファンタジー、そこから一歩でも外にいる人たちに目を向けると現実味のある話になっている。
例えば、序盤でチョコレートバードを作る際は人の口に入れて卵を孵化させるという現実なら保健所がカンカンになって監査しに来るであろう内容だ。ウンパルンパのような小人の存在もファンタジーだ。
一方、工場の外は地元民を雇わなかったせいで街はやや貧困のような空気感が流れており、特にチャーリーの家は貧困を煮詰めたような家だ。多くのところで傾いているし、歪みもひどい。屋根すらない部分も多い。その原因を生み出したのは他でもない地元民が産業スパイとなったせいでもあるが。

また、チャーリーの他に選ばれた子供たちは七つの大罪になぞらえたかのような存在だ。暴食、傲慢、強欲、憤怒といったように見える。それに対して自分たちのせいではあるものの罰が与えられている点はキリスト教圏らしい表現のように見えた。
その罰にしても10歳程度の子供がしたことに対してかなり重い罰となっているにもかかわらず、どこか面白さを誘っている。このあたりの寓話的でイギリスらしい。
ただ、唯一罰を受けていないチャーリーが清廉潔白な存在かというとそうではない。チャーリーも3枚目のチョコレートを買う際は拾った紙幣で買っている。法的にはともかくとしても、道徳的な問題が全くないわけではない。そういった部分も含めて完全な存在はいないということかもしれない。似たような部分を言えば、ウォンカが「永遠に」と発言したのに永遠ではないという意味を言うように、言葉通りのことはないのだということなのかもしれない。
そして、罰を受けた子供たちはあんな目にあっていながらも全く反省している様子はない。むしろ楽しささえ見出しているようだった。日本のことわざでいうところの「三つ子の魂百まで」ということだろうか。

この映画ではティム・バートン監督作品ということもあってか、ウォンカがリボンを切るシーンではどこか『シザーハンズ』を連想させる。他にもおそらくこのオマージュではないだろうか?と思える部分が多くあった。
エンターテイメント性が高い作品ではあるが、それだけではないイギリスらしさも含まれている楽しい映画だった。
雨虎

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