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ジプシーのときのkaomatsuのレビュー・感想・評価

ジプシーのとき(1989年製作の映画)
4.0
穢れのない純真無垢な若者が、権謀術数が渦巻くダーティな大人の世界に染まっていく話は『ゴッドファーザー』をはじめ数多いけれど、この作品が独特なのは、ジプシー(ロマ)の家族や、その生活をかなり克明に描いているところ。主人公のベルハンは、あるきっかけで、ロマの極貧生活から抜け出して、家族を幸せにしようと、ジプシーのドンであるアーメド一味の使い走りとなり、海外で豪遊、メキメキと頭角を現し始める。そして、母を驚かせようと帰郷を果たすものの、純真だった頃の面影が消えたベルハンのあまりの成り上がりぶりに、母はただ嘆くばかり。そして、アーメドが仕組んだ巧妙なワナにはまった愚かなベルハンは、重病の妹に関する重大なアーメドの裏切りを知ることとなり…。

ジプシーの慎ましい生活から抜け出し、外界を見てしまったダメ男の、すべては悪い方向にしかいかない、哀しくてやるせない話なのだけれど、エミール・クストリッツァ監督のスタンスは本当にユニークだ。一般的に、主人公の悲劇的な運命は、作者や監督自身の感情のフィルターを通して、より悲劇性が強調されていくものだが、クストリッツァ監督は、あくまでも喜劇的、あるいは楽天的な眼差しで悲劇を描く。そのため、悲しいんだけれどこれもまた人生、と思わせ、主人公を救わない代わりに、観ている私たちを救うのだ。

エミール・クストリッツァ監督が1995年に放った空前絶後のジェットコースター・ムービー『アンダーグラウンド』にも言えるけれど、「万物の事象はすべて陽と陰で結び付く」と説く陰陽道に心酔し、ゆえに映画においても、喜劇なしには悲劇なし、そしてその逆もまた真なり、とばかりに、すべての両極端を行ったり来たりする、異常に忙しいこのシネアストの作品群には、やはり唯一無二の不思議な味わいがある。
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