YasujiOshiba

シャドー・メーカーズのYasujiOshibaのレビュー・感想・評価

シャドー・メーカーズ(1989年製作の映画)
-
北米版DVDで鑑賞。DVDは日本語版もあるみたい。でもDVDスルーじゃなくて公開はされたみたい。Wikiによると日本では公開後すぐに打ち切られたとか。何が問題だったか。なんの忖度だったのだろうか。ポール・ニューマンのイメージを守るためとか?

いずれにせよ、ローランド・ジョフィ監督の問題提起は受け止めておきたい。映画はフィクションとしてマンハッタン計画を描くのだけど、ほぼ史実を追いながら、脚色が入ってくる。

調べてみると、ジョン・キューザックの演じるマイケル・メリマン(Michael Merriman)は架空の人物。モデルは、実際に臨界事故で亡くなったルイス・スローティン(Louis Alexander Slotin、1910 - 1946/5/30)だかけど、ソローティンが亡くなったのは戦後。だからその恋人となる看護婦のキャサリン(ローラ・ダーン)もフィクション。このキャサリンとメリマンのフィクションのカップルが、被曝の恐さを伝えてくれる。おそらくそのための看護婦役だったのだろう。

音楽はモリコーネ。勇まし気なマーチにただ勇ましいだけではなく、その愛のテーマの哀愁が、人生とは命を与えるためのものなのか、それとも奪うもものなのかディレンマを浮き彫にしてくれる。実のところモリコーネの音楽を追いかけて、この作品に出会うことができた。だから、マエストロに感謝。

もうひとつ。アメリカ陸軍工兵司令部とその指揮官レズリー・グローヴス(Leslie Richard Groves Jr., 1896 - 1970)と、オッペンハイマーというふたりの人物の描き方。ポールニューマンが依代となったグローヴスは決して悪人ではない。むしろ、ペンタゴンの建設を指揮し、ついでマンハッタン計画をまかされるような、優秀な工兵隊の指揮官だ。

そうした指揮官が、オッペンハイマーというユダヤ人の優秀な物理学者を抜擢し、このふたりが生み出したロスアラモス研究所という共同体が、いわばこの映画の主人公なのだろう。ひとつの目標に向けて進みながら、ドイツが敗れ、日本の敗北が明らかになってきてもなお、あの悪魔的な破壊兵器の開発を続けるしかなかったのは、誰のせいでものない。「人類学的な機械」のせいなのだろう。

ある種の集団、あるいは科学技術は、個々人の意思を超えて、自律的に動いてゆくものなのだ。そこに英雄はいない。いるのはただ、その自律的な運動に流されるほかなかった小さな存在。

そんな人間たちの悲劇は、トリニティー実験の成功の証である核の火が、あのオッペンハイマーの黒いサングラスをオレンジ色に染め、キャサリンの愛撫が、放射能で焼けただれたマイケルに悲鳴をあげさせるコントラストのなかに立ち上がる。

ぼくらに突きつけられるのは、運命の残酷さ。なるほどそれこそが、ジョフィの映画がとらえようとするものだったのか。
YasujiOshiba

YasujiOshiba