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たぶん悪魔がのpikaのレビュー・感想・評価

たぶん悪魔が(1977年製作の映画)
4.0
面白いか面白くないか、深く考える刺激になるか興味深いか、そういう見終わった後に続く余韻すら形容できない。なんだろうこれ。初めて見たときも何とも言えぬ後味だけ残り感想がまとまらないままだったが2回目も同じだった。
人より見えすぎることを病だと言う。理論的に考え過ぎる、地頭が良すぎるがゆえに先が見え何にも満足できない、他者にとって生きがいとなる様々なものも魅力足り得ない、世間に溢れる死ぬまでの暇つぶしに耐えられなくなり終わりを早める。
オープニングで一瞬にして説明してみせる演出のセンス。ブレッソンの作家性を端的に理解できる部分。
ブレッソンを見返そうと考えてなんとなくじゃあ原作によく使われているドストエフスキーを読もうと読んだらドハマリして主要著作を端から読みまくっていて『地下室の手記』を数日前に読み、150年ばかり前のこの作品の現代性、近年の人間を予見しているかのような描写や『頭が良すぎるがゆえに夢を追ったり欲望に向かったりくだらないとわかっている他者と同調できない』という感覚がこの映画に繋がっているんじゃないかと思い当たってレビューを書く気になった。(著作は1864年、映画は1977年)
感情を爆発させ熱が迸るドストエフスキーの語り口とは裏腹にブレッソンは一貫して淡々と冷徹なトーンで活写する。『地下室の手記』は誰にも見せるつもりがなく書かれた人間嫌いのリアル引きこもり中年の手記として自分の思想と半生が書かれている。なぜ引きこもるに至ったか、なぜ引きこもる必要があるのかを憎悪溢れる悪態だらけの文章で呪詛のように書き殴られている。それを1970年代のフランスの時代性と社会問題を織り交ぜ、当時の現代の若者の目線で語り直したと言うのは突飛すぎるだろうか。地下室の住人は引きこもったが、引きこもる場所すら失ったフランスの青年は終わりを早めることにした。『地下室の手記』では信仰による希望を指し示そうとした箇所を検閲によって削除されている。この映画ではその部分も満たすことができないものとして組み込まれている。信仰の希薄化、形骸化含め国民性の違いか思想の変遷か、もし根底に通じるものがあるとするならばその差異に、ブレッソンの独自性に意味を見出したい。

教会でのオルガン調律による音の効果。討論内容が頭に入ってこない。気が散る。聞く必要のない内容だと言うことか、考えようにも気が散る代物と表現しているのか。
『進行中の精神的崩壊の過程は書籍 映画 麻薬で加速する』
バスのシーンはやばい。何度見てもゾクリとする。
見終わるといつの間にか動作がスローになる笑
手をぷらぷらさせてのそーのそーと歩く所作が良い。
ラスト凄い。有無を言わさぬ完璧なエンディング。

表現している内容、表現方法と掘り下げられる箇所はたくさんあるが掘り下げにくい印象もある。あまりに完遂されていて見た印象以上のものがあるのかというようなこざっぱりとした完結感。こういう価値観の人間を、こういう人間を生んだ社会や歴史の流れを映画に留め描き世に遺したこと、そこから先は映画の外にあるようなまた別の話という感じがする。

2016/10/23【1回目】
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