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巨神兵東京に現わるのこどものレビュー・感想・評価

巨神兵東京に現わる(2012年製作の映画)
4.0
誰かの日記を読んでいるような、世界の終わり方を聴く。

初めて観たのは学生の時だった。将来の事とか、今思えばなんでそんなに無頓着で居られたんだろうと思うくらいには、全然考えてなかった。ただ凄く嫌なことが明日あって、明日になれば、またすごく嫌なことをこなさなければいけない。でも、そういう生活は大人になれば終わる、漠然とそう思っていた。
その日もいつも通り学校から帰ってきたら、女の人の声が聞こえてきた。静かな声だな、と思った。でも、なにか必ず悪いことが起きるんだと、直感させる不思議な声だった。気が付いたらテレビに魅入っていた。すると、直ぐに巨神兵が舞い降りて来て、東京を焼いた。巨神兵の威力は凄まじくて、もう、こうなってしまったら、どうやったって死ぬしかないんだろうなって、そう思いながら、ぼーっと東京が壊れていくのを眺めていた。
創世記の逆をなぞる。私たち人類は、全てが壊される迄の七日間のうち、一日目にはもう消されちゃうらしい。
よく世界の終わりを想像して、わくわくした気持ちになっていた。その時どんなことを想像していたか考える。社会のルールなんてものが消え失せて、やらなきゃいけないことなんて、「死なない」ということくらいだ。水も電気も使えないから、色がおかしくなっちゃった空の下で、ボロボロの毛布にくるまって、チョコレートバーを食べる。限られた資源を奪い合って、もし勝てたら、ご褒美にビールを飲んだりするのだ。
考えてみたら、世界が滅んでほしい気持ちって、自分の命ありきだった。少女が言う通り、私たちは、物凄く生きたい生き物なのかもしれない。
でももし巨神兵が来てしまったら、壊れた世界でのそんな楽しみも何もかも、一瞬で全てが終わる。想像したら、涙が出るほど怖いけど、どういう訳か、今までに経験したことのないような、心が震えるくらいの悦びを感じた。
「第七の日、災いは仕事を終え、安息の喜びの中で静かに泣く」
人智を圧倒的に超えた何か、神のような存在が為すことは、善悪の基準を超えて、一挙手一投足が全て「救い」なのである。

本当に辛くなった時、もしかしたら巨神兵がやってきて、自分諸共この世を全て終わらせるかもしれない。きっとその時は、本当に私も膝まづいて、なにかを祈っているんだろうなと、そんなことを考えながら、翌日も学校に向かった。
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