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愛は死より冷酷のnetfilmsのレビュー・感想・評価

愛は死より冷酷(1969年製作の映画)
3.4
 白昼夢のような精神病棟を思わせる白い部屋の中に男達がいる。彼らは1人ずつ目隠しをされ、組織への勧誘を受けるがフランツ(ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー)は自由を求め、彼らの一切の勧誘を断る。犯罪組織のメンバーは本名はおろか、出身地さえも言ってはならない。それが殺し屋同士の暗黙の了解であり、一種の仁義である。だがフランツはその白い部屋にいた1人の男ブルーノ(ウリ・ロメル)に友情に似た特別な感情を覚え、自らの住む部屋の住所をブルーノに話してしまう。やがて組織から無事解放されたブルーノはフランツに教えられた住所を元に彼を訪ねる。ミュンヘンの街中を彷徨い歩いたブルーノは、フランツがヨアンナ(ハンナ・シグラ)という名の娼婦と一緒にいるという情報を嗅ぎつけ、ヨアンナの居場所を探すことになる。

ファスビンダーの記念すべき長編処女作。三角関係と奇妙な友情のトライアングルに彩られたフィルム・ノワールながら、ファスビンダーにしかなし得ない度肝を抜く演出が待ち構える。冒頭の白い部屋の中に据え置かれたカメラ、そのフレームの中で役者達は演劇的に立ち回りながら、非常に簡素で素っ気ない台詞と情報量の少ない緩慢な身振り手振りを見せる。最初から暴力的で威圧的なファスビンダーのスタンスは、粗暴で野蛮な男にぴったりと言える。それに対し、ウリ・ロメルはどこか冷静で静かなる狂気を併せ持つフランツとは対照的な男として描かれている。この白い部屋の描写それ自体が今作から影の要素を消してしまう。白昼夢のような明るさの中に佇む3人の姿を素描することで、逆に3人の内面の閉塞感が浮かび上がる。ブルーノがフランツを探しながら、ミュンヘンの街をあてもなく彷徨う様子を乗り物の中から据えたランズベルガー通りの移動ショットは、言うまでもなくジャン=マリー・ストローブの68年のフィルム『花婿、女優、そしてヒモ』からの直接的引用(フィルムの借り受け、接合)である。アンチテアターという名の自らの劇団の人員を総動員しながらも、フィルムの問題から撮影出来る映像マテリアルに限りのあったファスビンダーは、師匠であるストローブから直接、『花婿、女優、そしてヒモ』の引用許可を得る。それゆえストローブの撮影したこの部分だけが明らかに突出したシークエンスになっているものの、このような不均衡なショットのパッチワークが素人ゆえのダイナミズムを生んでいるのである。

導入部分の白昼夢のような世界から、風景の拡がりを感じるミュンヘンでの彷徨を経て、ブルーノがようやくヨアンナの部屋を訪れるが、そこではまたしても白昼夢的な白い世界が待ち構える。白い壁に囲まれた部屋、そこに置いてあるベッドも同じく白であり、フランツとヨアンナはそこに横たわり、退廃的な時間を過ごしている。この白い空間の使用が、彼らの精神的孤独を強調している。フランツはトルコ人のポン引きを殺した濡れ衣を着せられており、トルコ系ギャングの報復を恐れている。それはフランツにとっては娼婦のヨアンナに話したところでどうにもならない問題だが、ブルーノが訪れたことにより、初めて彼は動き出す決意を固める。3人の共犯者による万引きの描写は前作の短編『小カオス』を思い起こさせる。犯罪を媒介とした3人の遊戯性、束縛の強いフランツが珍しくヨアンナをシェアしようとする決意表明、その表明を頑なに拒絶するヨアンナの態度。この3人の尋常ならざるバランスとヨアンナが漂わせるファム・ファタール然とした危うさがやがて犯罪映画のように3人を破滅の方向へと導いていく。トライアングルから1つの支柱が去った時、男と女には必然的に何かが起きる。スーパーマーケットでの万引きシーンの機動力を駆使した長回しは、全てのファスビンダー作品の中で最も美しいショットの1つだろう。

カフェでの殺し、その後の河川敷での警察官殺しと彼らはいとも簡単に殺人を繰り返す。実に短絡的で、計画性のない犯行だ。場当たり的な殺しとは別に、彼らは綿密な計画を立て銀行襲撃を計画するが、この計画が成功するだろうとは観客の誰もが信じていないだろう。実際に彼らの立てた計画はあっさりと失敗し、それまで緊密な関係を保持したトライアングルの一角は一発の凶弾に倒れる。ラストの襲撃シーンは動き自体は緩慢でスピーディさを欠くものの、ファスビンダーのその空間処理能力には非凡さを感じる。明らかに罠に見える銀行傍での3人の起立。それを見抜けなかったフランツのミスはさておき、その後のカー・チェイスの場面のショットの連続もとてもこれが処女作とは思えない素晴らしさがある。ファスビンダーは処女作から同性愛のメタファーを持ち込みながら、同性愛よりもタチの悪い抽象としてファム・ファタールな娼婦を持って来ている。ドイツの戦後生まれの若者の独特の喪失感や焦燥感、僅かに浮かんだ希望さえもあっさりと断ち切る絶望的な結末。しかしそれでも2人が走り抜けた先の道程のラストを省くことで、観客にいかようにも想像させるクライマックスに至るまで、長編処女作とは思えない演出の冴えに驚く。
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