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新・少林寺三十六房のblacknessfallのレビュー・感想・評価

新・少林寺三十六房(1984年製作の映画)
3.6
シリーズ3作目。クレジットは1番目になってるけど主役はリューチャーフィーじゃない。
でも、1作目のサンダが偉い坊さんになったサンダ住持として出てくる。なので完全ではないけど『続・少林寺三十六人房』よりは1作目と繋がりがあるとは言えるのかも笑

しかし、演出、構成はかなり『続・少林寺三十六房』に近いんだよな。全編コメディタッチで主人公が利己的なボンクラ、それが少林寺で修行して強くなる。
大きく違うのは主人公のサイヨてボンクラは武術家であるお母さんから鍛えられてるから少林寺に入る前からかなり強い。そしてそれを鼻にかけるとこがあって傲慢になり災いを招き寄せてしまうという、初期のジャッキー・チェンの映画の主人公と同じタイプ。ノーテンキなお調子者。

そんな性格なんでサイヨは少林寺でも先輩達より身体能力も高いから「自分に必要ねえよ」とばかりに修行はサボりまくる。出されたメシが不味いからと言って食材探し死に勝手に寺を抜け出したり、やりたい放題。
この我が儘なボンクラを鍛えあげるリューチャーフィーのサンダ住持と掛け合いが定番だけど心地好い、この辺も初期のジャッキー・チェンの映画を彷彿とさせるコミカルさがあって楽しい。

そして、定番の悪党達の決闘になるんだけど、この経緯が悪党が悪いのは確かなんだけど、あまりに簡単にお気楽に悪党の術中に嵌まるサイヨがアホすぎて悪党がそんなに悪く見えないんだよな笑
こんなバカが目の前に現れたら、つい大それた悪事を計画しちゃうな、みたいな。サイヨさえ居なければ、いや、せめてもう少しバカではなければこんなことにならなかったんじゃないか😂 て気持ちになる笑

最後の悪党達VSサイヨとサンダ住持の師弟コンビとその他の弟子達よるバトルシーンはこれぞカンフーアクションて感じのアクロバティックで外連味がある素晴らしいものだった。

普通、こういう展開だと主人公が修行と戦いを通じて人間的に成長するんだけど、サイヨは色々あってもバカでお調子者のサイヨのまま微塵も成長しないで終わる笑
これはけっこう珍しいパターンだと思う笑
珍しいと言えばリューチャーフィーのウェディングドレス(明朝バージョン)姿が見れる。必然性あるんだけど無駄にゴージャスなんで笑えた😂

主人公じゃないからリューチャーフィーの登場時間がシリーズ中一番少ないけど、どこまでもコミカルでカンフーに有りがちな道徳的教訓の押し付けもないし、『続・少林寺三十六房』より好きだな。
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