プペ

命をつなぐバイオリンのプペのレビュー・感想・評価

命をつなぐバイオリン(2011年製作の映画)
3.4
予告編や宣伝では″神童″と呼ばれる少年少女がその才能を駆使し、戦争をサバイバルする話のように思えてしまうが、そうではない。
子供たちが生き残れるかどうかは、彼らの努力とは関係のないところで勝手に決められたことだ。

この映画を観ていて、自分とは無関係な昔のどこか他所の国の話という風には思えなかった。
これは国も人種も越えて友情を育んできた子供たちが、″バカな大人たち″の勝手な都合によって引き裂かれていく悲劇、現実に数多く起こった歴史の一コマである。


「命をつなぐバイオリン」という邦題に反して、″神童″とまで呼ばれたアブラーシャのバイオリンがラリッサや他の多くの人々の命をつなぐことはなかった。
ひとり生きながらえたアブラーシャは、パートナーであるラリッサを失い、音楽を捨てる。

アブラーシャがバイオリンを捨てて音楽とは別の道に進んだことが腑に落ちない、という方もいらっしゃるようだが、イリーナ先生はアブラーシャの独りだけで突っ走る演奏をたしなめていた。
何としてでも音楽を続ける、というのも一つの道ではあるが、将来は結婚するつもりで常に共に音楽を奏でてきたアブラーシャとラリッサは二人でいてこそ″神童″であり、ラリッサの死と共にアブラーシャの中で音楽もまた死んだのだろう。
だからこそ、失われたものがどれほどかけがえのない存在だったのか、痛感しないだろうか。



この映画に登場するアブラーシャとラリッサとその家族、イリーナ先生、そしてハンナと両親、ハンナの父親のビール工場で働くアレクシーたちは、「戦争」によって無残に奪われていく善意やイノセンスの象徴といえる。

″神童″だから尊いのではない。
″神童″とは何物にも代えがたい「命」そのもののことだ。

一方で、アブラーシャたちユダヤ人を迫害する町の少年たちや「ユダヤ人は抹殺すればいい」と恐ろしい言葉を平然と口にしていたライヒ家の家政婦のような人々は、人の愚かさと残酷さを表している。

両者は一人の人間の中に存在しうる。

″神童″を国家のために利用するウクライナ人のタピリン大佐も、まるでゲーム感覚で家族もろとも簡単に殺してしまうナチスのシュヴァルトウ大佐も、やはり生身の人間である。

人は、どこまで醜く、残虐になれるのだろうか。


馴染みのないドイツの俳優たちの演技は素晴らしく、3人の子供たち、特にラリッサ役のイーモゲン・ブレルの悲しみや怒りが入り混じった表情に見入った。

戦乱で真っ先に犠牲になるのは子供である。
彼らを守れない世界は平和や幸福から最も遠い。
世の中の人、ひとりひとりの為にあるはずの国や組織が為政者や一部の人間に都合良く利用され、「命」がないがしろにされていくような世界に再び戻してはならない。
プペ

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