ま

かぐや姫の物語のまのネタバレレビュー・内容・結末

かぐや姫の物語(2013年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

金ローにて。
映画館で初めて見た時、今までの悲壮感に満ちたシーン切羽詰まった姫の心情を全部消し飛ばすかの如くちゃかぽこちゃかぽこ遠い空から下りてきた月の住人のシーンで背筋がつるほどの衝撃をくらったのを覚えてる。
これは...何かもの凄い物を見てしまった...って感覚お迎えってこういうことなのか?って想像してしまってヒッてなったのを覚えてる。
ぼーっとした頭で家に帰って、取りあえず一体何だったんだろう...ってのに何とか答えを見つけたくて後日天人の音楽を調べて何度か聞いてはみたけど一発目の時の衝撃は得られずあの時の感情が何かも分からず。あの真っ正面から圧倒するかの如く近づいて来る絵が凄いのか何なのか。ううーんとにかく高畑さんぱない...としか言いようが無かった。
でも映画館で見たあの頃はまさかこれが監督の遺作になるとは思ってなかった。
こんなことなら2018年来て欲しくなかった...。
今回は3回目の鑑賞。
この世界の片隅にもそうだけど一人の人間が歩んで来た道のりをゆったり濃く描く系作品私の中で2回目からが本番説が確立しつつある。
というのも、このキャラがどういう終わりを迎えるのかを知った上で幸せだったあの頃をもう一度頭からまるでアルバムを見るかの如くリピート出来るから様々な何気ないシーンがそこはかとなく意味を持ってきてもう涙腺ががばがばになる。
火垂るの墓以上に本作隙あらば泣きそうになる。
やはりそれは本作がはっきりとかぐや姫が生まれてから天に召されるまでの物語で、やり残したことも未練も残したまま若くして去らねばならなかった少女の物語だからもうなんか余計幼かった頃幸せだった頃、ムクムクぽっちゃりだった赤ちゃん期輝かんばかりの笑顔の幼少期が幸せ一杯すぎてウッてなる。
誰一人極悪人はいないのにいつの間にかもう生きていたくないと思うほどの冷たい袋小路に追い詰められてしまったのは何故なんだろう。
大人になる上で何かを捨てたり我慢をしたり今まで大事だった物が気付かぬ内に味気なく思えたり嫌いになったりってのは凄く良く分かる事で、多分もっとこうすれば良かったこうありたかった何故そうならないというかぐや姫が辿った心の動きはこれからの私の人生においても同じように経験していく道なんだろうなと思った。
からこそ月へのお迎えをハッキリと意識したかぐや姫の口から発せられる「ああ私は今まで何をしてたんだろう嫌だ嫌だと駄々をこね偽物の庭で心を慰め、帰らねばなら無くなった今全てが惜しい、そうだ私は生きるために生まれてきたんだ鳥や獣の様に」的な台詞のキレ味にヴァッてなった。
でも同時に「死」という生の否定をこれ以上無いまでに明確に目の前に突き付けられたからこそ去るまでの最後の短い間、かぐや姫は力強く生を肯定する事が出来たのかなとも思ったり。
弁証法の監督ってのが今一飲み込めて無かったけど何となく飲み込めたような気もする。
と、同時に今言語化してみたことで何となく、このかぐや姫の最後の一連の「死を突き付けられる」「自分が途方も無くまだ生きていたいと気付く」「悩みや不安穢れに満ちた今生に執着する」「でも否応なしに訪れるお迎え」っていうこの流れが恐らくこの先の人生控えてるんだっていう、誰にでも起こりうる普遍的な未来のビジョンをはっきりとインセプションされちゃったせいで背筋がつりそうになったのかな...と思った。
あとやはり、この最後が監督高畑さんともだぶってだぶって。
平家物語やら色々やり残したことやりたいことまだまだ有ったろうにって思うとちょっと凄すぎて。
雑然としてる地球と比べて月は完璧で美しいが何も無い、というのは火垂るの墓で描かれた生は醜く死は美しいに近いものがあると思う。
美しく平穏平静で完璧だけれど、何も無いよりかは穢くても何かあった方が良いじゃ無いか的な。
反転、その穢れを良しとし欲することが月の世界では禁忌であり罪であり、だからこそその罰としてかぐや姫は穢れた地へ送られたのかな。
最後、どんどん世界が色を失って遠く離れていく中、ハッと悲しげな顔で振り返ったかぐや姫が俄に色づいて、青く美しい地球を見やるがしかし諦念のままゆっくりと色を失い、徐々に居直りついには冷たい無機質な彼女の背中でもって物語が閉じられるってのが、ちょっとエグすぎて。
今までずっとお爺さんやらお婆さんやらかぐや姫本人やら凄く近い目線で見ていたのが急にプツンと糸を切られたような。
あ、死んでしまった...という気持ちがすとんと心の中に落ちてきて幕引きなんだ...っていう。
あんなに、物語の始めは生き生きと動いてたのに。っていう。
そんな気持ち。
凄くずうぅんとなってしまって寝る前にトトロを見るより他無かった。
最後、大きすぎる屋敷をふわぁって通り抜けてく月の妖精さん達が今までかぐや姫が生きて生活してきた畑や機織りや土間やら人が生きてきた痕跡的な物をスンッて感じの冷たい光で静かに照らしてくシーンもうぅってなる。
ああいう人がそこにいた跡的な物を冷たい光で照らされると凄くうぅってなる。白黒写真とかでもなる。
あとはやっぱり竹取の翁あぁぁ。
かぐや姫の根っこが捨丸兄ちゃんと過ごした山にあるのなら、きっとお爺さんの根っこは顔くちゃくちゃになりながらも必死で叫んだひーめおいで!ひーめおいで!に有ると思うんす(顔くちゃくちゃ)
愛から始まった彼の行動はやはり姫を思う心一筋だったと思うけど、でもそこは人間だからどうしても種々の欲と業が出てしまって。
結果誰も彼もが首が絞まってるっていう救いが無い...なんで人間こんな業が深いん...監督ぅ...。
思うに、姫と出会うまでの翁は野山に交じりて慎ましやかに生きてきた人だと思うんす。
あの、途中かぐや姫がワッとなって駆けていった時に山で出会った窯焼きのおじさんみたいに自然と調和を保ちながら竹を必要なだけ取って暮らしていた人だと思うんす。
それが人生も大分折り返した後で姫と出会って、あっという間に今まででは考えられなかった方向に人生が動き出して本来なら経験することも無かった栄誉と喪失を経て、彼はあの後どういう気持ちで彼自身の残りの時間を過ごすんだろう...。
老いらくの身の上には今回の事件色々とキツすぎやしないデスカ(顔くちゃくちゃ)
姫が幼い頃あんなに顔くちゃくちゃにして必死で喜んでた人にあの仕打ちはあんまりじゃないデスカ(顔くちゃくちゃ)
幼い頃仕事中へばりつく姫に嫌な顔もせず、少なくとも彼の中では姫の出世を我が事の様に心から喜んでいてうっはーってなっちゃって、常にドアのヘリに帽子を引っかけちゃう愛すべきぼんくらお爺さんに傷ついて欲しく無いよおぉぉ神様あぁぁ(白目)
思うにつけ寝られない...トトロを見ないと寝られない...。
後はちょっと疑問点。
たまらない気持ちになって駆けだしたかぐや姫が手に持ってる笹は能の狂い笹と聞いて。
何事かがあって狂い乱れている人物が、その状態を象徴するように手に持つ笹のことって能楽用語辞典に書いてあった。
ワッてなっちゃってるかぐや姫がそれを持ってる事は分かるんだけど、最後月へのお迎えシーンのとこで女童が歌いながら笹っぽいもの持ってるのは何を意味してるんだろう?笹じゃないのか?
というかあのシーンがちょっと良く分からないなと思って。
大人達が眠ってる中、女童と偶々近場にいた子供達(?)だけが起きていて、であの歌を歌っているってのは何かの対比になってるのかな?
それきっかけでかぐや姫もはっとなってるし。
そもそも何故女童?女童とかぐや姫が対比になってる?とか?
ここはもうちょっと色々調べたいし教えを請いたいなと思った。
そんなエグい物語を描きつつも当のご本人の高畑さんは竹の内側からの発光が果たして外側に届くかどうか、かぐや姫の光源は一体どこにあるのかで一ヶ月近く悩んでたって言うし。
落差がありすぎてふがっふがする。
本当に良い作品だったなぁ。
切り口が一杯あって、きっと見る時見る時心に引っかかってる物が変わる度また違った見え方してくるんだろうなと思った。
また、でも、しんどいので時間を空けて見続けたい。
本当に高畑監督ありがとうございました...。
でもきっとこれからもお世話になります...(顔くちゃくちゃ)
ま