かなり悪いオヤジ

ノスタルジアのかなり悪いオヤジのレビュー・感想・評価

ノスタルジア(1983年製作の映画)
4.0
過去、一体何人のシネフィルたちが自らの哲学的ポエジーを本作の映像にシンクロさせたことだろう。ソ連当局による検閲を逃れるためにあえて難解にせざるを得なかったのかもしれないが、本作における余白演出はシネフィル格好のご馳走だったに違いない。

そんなタルコフスキー作品を特徴づけるのが、何といっても“水”の扱いである。監督の故郷を思わせる映画冒頭の高原には“霧”が流れ、聖なる狂人ドメニコ(エルランド・ヨセフソン)とタルコフスキーの分身であろう作家ゴルチャコフが遭遇する温泉場には“湯気”がもうもうと立ち込める。

ドメニコの住む部屋は屋内だというのに絶えず“雨”が降っているし、ゴルチャコフが自らの死を予感し(タルコフスキー実父が書いた)詩集を焼く教会は“湧水”で床上浸水状態だ。そして芭蕉の俳句にも重ねられる有名なラストシーンの“雪”。

スチリャーガとしての洗礼を済ませていたタルコフスキーがおそらく手本にしたであろう西側レジェンドとの決定的な差異は、シベリアのタイガを思わせるこの“湿度”にあると思うのだ。イタリアの乾いた空気の中では到底表現できない故郷ロシアの光を再現するためには、どうしても部屋の中を水浸しにする必要があったのだろう。

1+1=1。“水”がもつ親和性に例えて人類救済のためのヒントを主人公に与えたドメニコは、弱者と強者が手と手を取り合ってひとつになる理想をぶちあげた後、焼身自殺を遂げる。

まるでクロスを切るように、または「1+1」の“+”をなぞるように、奥から手前へ、またはその逆の垂直移動と、右から左または左から右の水平移動を繰り返すドメニコとゴルチャコフ。夢と現実、過去と現在、聖と俗、彼岸と此岸、東と西をつなぐパサージュを抜けて、2人の人生がクロスする。

ロウソク渡りの儀式成就によりドメニコとの合体が相成った時、物語の主人公にもまた死が訪れる。再び目を覚ました場所は、廃墟となっている教会に囲まれた忘れがたき故郷ロシアの生家だった。

本作完成とともにイタリアへの亡命を発表したタルコフスキーだが、すでにソ連の崩壊は目前で、亡命せずとも西側で自由に映画が撮れる状況だったという。それでもあえて亡命した理由は、検閲をめぐるソ連当局との確執だけだったのか。ラストシーンに降らせた雪は、あくまでも芸術たる映画のため表現の自由を求めた自らの身の潔白を証明する意味合いもあったのではないだろうか。

過去そして未来に向けたタルコフスキーのカメラは抜群の表現力を発揮するものの、現在という時間軸だけはなぜか彼の一歩先をいく。本作発表の2年後、肺がんのためタルコフスキーはパリで客死する。ペレストロイカを知ることもなく旅立った「遅れてきた巨匠」が、時代に追い付くことはなかったのである。