かなり悪いオヤジ

お料理帖~息子に遺す記憶のレシピ~のかなり悪いオヤジのレビュー・感想・評価

3.5
東洋と西洋では、親の認知症に対する子供の心情に微妙な差があるのではないだろうか。自宅でお惣菜屋を営む料理上手のオモニが突如認知症を発症する本作は、オモニの記憶の中から自分が消え去っていく喪失感に苛まれる息子が描かれており、川村元気監督『百花』に涙した方なら必ずや共感できる東洋らしい作品と云えるだろう。

に対し、最近見たミア・ハンセン=ラブ監督『それでも私は生きていく』では、難病におかされ娘のことも認識できなくなっていく父親の看病をしながら、心配しているのは娘本人の遺伝性、つまり自分も父親と同じ病気を発症するのではないか、という恐怖に怯えるのである。本作の主人公とは違って、病気におかされた親のことではなく、自分自身のことがまず先にあるのである。

おそらく、儒教的な精神性と、西洋とくにヨーロッパにおけるキリスト教の社会契約的な考え方の差に根本原因があると思うのである。成人になればもはや実の子供であっても自分のライバルとみなす西洋と、いくつになっても子供は子供、親のすねをかじるのが当たり前とする東洋的な親子関係とでは、親の認知症という世界共通の問題に対する子供の接し方に相当な温度差が生じるようなのである。

ちょっとした段差につまづき、普段考えなくてもできたことができなくなる。外にでかけても用事を忘れてしまい、月々の支払いもとっくにすませていると思い込む。あり得ない場所にあり得ない物をしまいこみ、清潔に保たれていた部屋もいつの間にかゴミだらけ。あげくに徘徊や万引きで警察の厄介になるオモニの姿は、経験がおありになる方には介護アルアルなエピソードばかり。そしてその息子にとって最もつらいのが、子供である自分の事を母親が忘れ去ってしまうことなのだ。

実家を売ってその代金で、大学教授になるための賄賂や、オモニの施設入所費用に充てようとする息子。が、ここでなぜか実家売却を思い止まるのである。「母さんは僕を憎んでいた」と心の中でずっと思っていた息子は、オモニと暮らした実家の中に“愛の痕跡”を見つけようとするのである。なぜオモニが自分につれなく接するようになったのか。その原因ともいえる過去に起きたある事件も決して作為的ではない分、介護経験者でなくとも思わずホロリとさせられてしまうことだろう。

子供は親の分身とはいうけれど、ある事件がトラウマとなって自分自身を許せない、憎んでいる親ほど、子供を素直に愛せない、愛し方がわからないという病に蝕まれるのかもしれない。子供たちのために書きためた母親の宝物ともいえる“料理帖”を本にして出版した息子。そんな息子の肩をそっと抱きしめるオモニのシワだらけの手。何をおいてもまず自分自身ありきの西洋とは違った、〝子宝〟という言葉の意味がひしひしと伝わってくる1本なのである。