ちゅう

インセプションのちゅうのレビュー・感想・評価

インセプション(2010年製作の映画)
4.2
夢から覚めた時、目の前にあるのは現実なのだろうか
それを確かめる術はあるのだろうか
そもそもそれを確かめる"必要"はあるのだろうか


一般的な感覚では、偽物の世界から解放されて現実の世界に戻るのが正しいという話の方が享受しやすいのではないかと思う。
少なくとも僕の世代ではそうだ。

例えば、「マトリックス」ってそういう話で、たとえバーチャルな世界でいい暮らしができたとしても、クソみたいな現実に戻ってそこの問題を解決すべきだというメッセージがあった。

けれど「マトリックス」よりもずっと最近の映画「コングレス未来学会議」では、求めていたものが現実世界になかったと知ったとき、そんな現実にいることを拒否してバーチャルな世界に戻るという選択をする。
現実に戻って生きるべきだというメッセージを否定したのだ。

ここには"世界"に対する認識において明確な違いがある。


この映画では、そういった"世界"に対する認識が問われていたのではないかという気がする。

作中、夢から醒めて現実に戻るという話が描写としても人物の会話としてもとてもよく出てくる。
ここが現実か確かめる術も"一応"ある。
けれど観ているうちにここが現実であって夢ではないという確信が揺らいでいく。


ここが夢で、夢から醒めれば現実に戻って"本当"の生活が待っていると考えているからこそ、夢から醒めることを望むのだけど、それは正しい考えなのだろうか。

リアル感のない世界(夢)から抜け出した時、その先の世界(現実)を本当にリアルに感じられるという保証はない。
もしその世界(現実)をリアルに感じれなかったら、どうすればいいというのか。
その世界(現実)を抜け出すことはできないのだから。


つまり、あなたが抱えている問題は今ここにある"世界"を変えれば解決するというものではない、ということだ。
問題の原因を"世界"に帰結させることは不可能だということだ。

それは、逆に言えば、自分が抱えている問題こそがここをリアルな世界(現実)と感じられるかどうか決めているということだ。

これがこの映画が一番言いたかったことなのではないかと思う。


ラストシーンの描写でも、ここが夢か現実かわからないままだ。
でも、夢か現実かわからないままだからこそ良いのだと思う。

なぜなら、あなたが抱えている問題はそこではないとわかったのだから。
ちゅう

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