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死んでもいいのnetfilmsのレビュー・感想・評価

死んでもいい(1992年製作の映画)
4.2
 列車はよろよろとゆったりとしたテンポで、うだるような暑さの山梨県大月に向かっていた。青年は8人掛けの椅子にどかっと横たわり、死んだように眠りこける。当然その8人掛けには誰も座る様子がない。大月駅で下車した平野信(永瀬正敏)は出入り口でうっかり女にぶつかる。身体がぶつかった瞬間、スローモーションで飛ばされた女の身体は投げ飛ばされる。それが信と名美(大竹しのぶ)との出会いだった。彼女をつけ狙うように名美の働く不動産屋に吸い込まれた信は、社長の土屋英樹(室田日出男)にここで働きたいと懇願するのだった。寡黙な男の背景や生い立ちは完全に伏せられ、抑えきれない彼の衝動だけがここに在る。大月駅は彼がこれまでの人生を清算し、再出発を果たす地になるはずだったが、そこで男は年の離れた運命の女に出会う。ここでの名美は32歳で、不動産会社の社長の妻として夫を支える。地元でも有名なおしどり夫婦に性の営みはあるものの、種無しの土屋と名美の間に子供はいない。あるドシャ降りの夕方、帰りの遅い信を名美が探しにいくと、信は思いつめた表情でアパートの隅っこでじっとしているが、リビドーが抑えられない信は名美を犯してしまう。ここでも残酷で激しい雨は登場人物たちに容赦なく襲い掛かる。

 石井隆のフィルモグラフィにおいて、これ程わかりやすい「父殺し」のモチーフは他にない。信は一回り年の離れた女に出合い頭に恋するが、女には陽気で粗暴な旦那がいる。夜になると夫婦の営みの声は聞こえるものの、青年が押し倒すと女は満更でもない素振りを見せる。信は美しい名美の姿に母親像を重ねる。もしかしたら土屋も妻としてではなく、母親としての眼差しを名美に向けているかもしれない。信が独り占めしたくて堪らない名美には既に夫がいて、不動産屋の生活がある。青年の欲望は土屋がいれば成就しない。そればかりか常に名美の傍を離れない土屋の存在が信には心底疎ましい。成人映画ではなく一般映画だから、SEX描写は控えめだがその代わりにここでは故・室田日出男がキャリア最高の演技を見せる。フリーターで住所不定ながらイマドキ珍しいガツガツとした信を土屋は経営者として受け入れ、面倒を見てやるのだが飼い犬に手を噛まれる。今作における室田の演技は何も疑わない純粋無垢な表情から突如「疑惑」の目に豹変する。その切り替えは凄まじく、およそこの世のものとは思えない嫉妬に狂う。不動産屋の副店長として働く名美は一見、幸せな主婦でありながら土屋の狂気の変貌ぶりに振り回される籠の鳥なのだ。ここではないどこかを夢見る籠の鳥は、旦那の息子の様な信と出会い肉体関係を持つが、それがクライマックスの更なる狂気へとなだれ込むトリガーとなるのだ。

 地獄めぐりの三角関係は互いに錯乱し、愛の名のもとに互いが互いを痛めつけることでしか救いなど訪れない。美しい名美を引っ張り合うことで父と息子とは母性の檻に逃げ込もうとする。社員旅行の席で、うっかり酔い潰れた土屋は名美の姿を必死の形相で探し求める。その時、旅館の廊下は魔宮の回廊の様な形相で土屋を苦しめる。大理石で建てられたビルの地下一階、カラフルなカーテンがひらひらとたなびき、土屋が一番見たくなかった男の姿が露になる。このようにぞっとするような映像効果と苛烈なモンタージュは中年の枯れた背中をより一層浮き上がらせる。蜃気楼の中、白い日傘を差した名美はこの世界で最も美しく崇高な存在で、土屋も信も、命をくれてやっても名美の全てを捕まえておきたい。クライマックスのホテルの一室の描写は石井隆からデヴィッド・リンチ『ブルー・ベルベット』への回答だ。名美への支配の一部始終をクローゼットから目撃した男は狂気の海へ堕ちて行く。正直言ってこの現場を体験した永瀬正敏にとってこれ以降の撮影現場は温く感じたのではないか?そう思うほど地獄絵図な風呂場の長回しの凄まじさは、人が人を愛することの残酷さに満たされる。ドアポストから飛び出した手首に絶望を語らせる石井の演出には、もはや日本に石井隆のような才能がいない寂しさを実感する。本当は『GONIN』が書きたかったのだけど大昔に既に書いてしまったので、それならばと次に浮かんだのが今作だった。あらためて75歳でこの世を去った石井隆監督に哀悼の意を表し、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
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