YurikoHashimoto

チョコレートドーナツのYurikoHashimotoのネタバレレビュー・内容・結末

チョコレートドーナツ(2012年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

え、、うそ、、、
うそでしょ、いやだ、、。
なんでそんなことになるの、、。
どうしてそんなことにするの、、?
辛過ぎるよ、、


偏見という枠を取っ払った、彼ららしい家族の在り方。
だからこそ、大きく深い愛だったんだよ。
だからこそ、マルコも笑顔が増えたし、周囲とのコミュニケーション、社会性を身につけられたのよ。

どうして何も知らない人たちが、人を一個人として向き合わず、常識という枠組みや判例という型ではめる、特に柔軟性が効かない場で、なんで彼らを引き裂くことができるの?

マルコの近くにいた大人である先生が、マルコの1番の両親って言っても、なぜ覆るの?
ヤク中の保護観察期間はないの?

なぜマルコが死ななきゃならなかったの、、。


裁判の途中まで、画面に反射して映る自分の顔が、どの場面でも微笑んでいて、それくらいこちらまで家族愛を感じさせられる程の大きな愛の中、15歳になったのに。。

そして挿入歌のように歌うドナテロの歌が、歌詞が、スッと入ってきて、更に微笑ましさを助長させ、こんなに温かく優しい気持ちになる映画はあるのかと、これを選んで良かったと思っていたのに、、。

最後のドナテロの歌は辛過ぎて聞いていられなかった。観ていられなかった。
エンディングの歌詞も辛過ぎる。。

ここから7年ほど経つけれど、現状はどのように変わったのだろうか。同じように制度の隙間に隠れたカップルや子供達。また、制度で守られているようで、制度が苦しめている親や子供達もいるだろう。

なぜ誰にも分からない、誰一人として同じ者はいない人間、をジャッジするために、昔の判例を用いるのだろう。
人は当然ながら、時代も風潮も異なるのに。
求められるのは人間らしく、柔軟であり、人へも社会へも洞察力の鋭い裁判長・裁判官ではないだろうか。

検事や弁護士で自慢してくる人よくいるけど、そういう人達こそ、こういうことしそうで苦手なんだよなぁ。(若輩者の僅かな経験からの推測で物言いをし、関係各位の皆さま、それこそ勝手な偏見を持ち申し訳ありません。
YurikoHashimoto

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