ガンビー教授

アメリカン・スリープオーバーのガンビー教授のレビュー・感想・評価

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『イット・フォローズ』を見たとき、それがこの監督の作品に触れる一本目だったにも関わらず「この人の映画はずっと追いかけよう!」と(個人的に)心に決めたデビッドロバートミッチェルさんの処女作。

『イット・フォローズ』から恐怖描写を削いだ感じ、と言えば良いのだろうか。決してつまらないという意味ではなく、作品としてはより深化している感じもする。

何かが起きるかもしれないという予感とサスペンスは、確かにはずみでホラーに転じかねない空気をたたえている。主人公と言って良いのかどうか、スーパーで見かけた金髪の女の子を探し回る男の子がバスルームにゆっくり迫っていくのを背中から捉えた場面などは、照明や音響の具合といい、構図や間合いといい、ホラー映画のワンシーンから抜き出してきたと言われても違和感はない。
この映画のラスト、そして『イット・フォローズ』を見たあとなら、迫っていく先に待ち構えているものの正体ならびにこのような(ホラーじみた)演出も理解できるはずだ。

僕の記憶が正しいかどうか分からない(ゆえに正確な引用ではないかもしれない)が、ヒッチコックはこんなことを語っている。「サスペンスというのは恐ろしい事柄だけでしか成立しないものではない。例えば結婚しよう、と相手に打ち明けたいとき、それが言えるかどうか、こういうことでもサスペンスは演出できる」何かが起きるかもしれないという期待混じりの不安……この作品は、そのようなサスペンスに満ちている。

ただ、「起きるかもしれない」と思われた何かは、起きない。会いたくてたまらなかった相手には会えない。いや、探していた人間を仮に見つけたとしても、それは自分が心の底から望んでいた相手とは本質的に何かが変容している。探していた『過去』と見出した『今』のあいだの溝を知って、彼らはスリープオーバーというモラトリアムで特殊な時間の流れにみずから蓋をし、自分たちの手でmyth(神話)を完成させて立ち去っていく。

こういう寓話を語りきるための手口も見事で、イットフォローズ同様いつの時代の話なのか知らせるようなものを画面から周到に排除し、画面の時代性を曖昧にしているし、あと大人と言える大人がほとんど出てこない。唯一画面に映るのは、彼らにとって今まさに特別な時間が進行していることを、知ってか知らずか見逃して眠りこくっている老女(本来は見張り役のはずだが)だけである。彼女に気付かれないように、若者たちがすぐそばを通って逃げ出すという展開があるが、この遊戯めいた場面のスリルは、どこかイニシエーション(通過儀礼)めいてもいる。
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