九月

沈黙ーサイレンスーの九月のレビュー・感想・評価

沈黙ーサイレンスー(2015年製作の映画)
4.5
学生の頃は本屋に行くのが習慣で、夏になると、新潮社のキャンペーンで、店頭に遠藤周作の『沈黙』が並んでいたことを思い出す。いつか読もうと思いながらも、ついぞ読むことはなく…こういう話だったのかと衝撃を受けた。予想以上に重く、それでいて静かに訴えかけてくるような内容だった。

江戸時代初期の日本では、キリスト教が禁じられ、キリスト教徒は幕府により激しく弾圧されていた。
そんな状況下にある長崎に、師であるフェレイラの消息を確認するため、ロドリゴとガルペが向かう。キリスト教の司祭が自ら長崎を訪れるなんてどう考えても危険で、教会からも止められるが、生まれた国や宗教が違うといっても同じ人間、話せば分かるとロドリゴは信じているようだった。

日本に潜入したロドリゴとガルペと同じ視点で当時の状況を目の当たりにし、大きな衝撃を受けた。
終始閉塞的で、かなり惨いことばかり行われていたけれど、淡々と映し出され、まるで小説を読んでいるかのような感覚になり、ストーリーが静かに入ってきた。

今の今まですっかり忘れていたのに、小学校の歴史の授業で「踏み絵」や「鎖国」について習った時の記憶が一気に蘇った。踏み絵について、そんなことをする意味も意図も見出せずに、子どもながらに困惑し、何回も教科書を読み返していたような。あの頃と全く同じ感覚に引き戻された。

危険に晒されながらも深い信仰心を持ち続ける日本人の描写に加え、志を同じくしながらもすれ違うロドリゴとガルペの関係も見応えがあった。
子どもの頃から当たり前のようにキリシタンであったロドリゴ、生きるためにある選択を迫られるが…ガルペとは全く違う決断に少しショックを受けながらも、人間、そう簡単には考え方や今まで信じていたものを変えられるものではなく、むしろ信仰心ゆえの行動だったと、説得力のあるラストで腑にも落ちた。

生きるための信仰だと私は思っていたけれど、この作品で映し出された長崎のキリシタンたちは、信仰のために生き、信仰のために死んでいったようにも見えた。
信者たちは文字通り命懸けで信仰しているというのにその見返りのようなものは一切与えられず、タイトルにある通り、なぜ神は沈黙を続けるのか?ということが重くのしかかった。
九月

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