シミステツ

沈黙ーサイレンスーのシミステツのネタバレレビュー・内容・結末

沈黙ーサイレンスー(2015年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

17世紀、江戸初期、幕府による激しいキリスト教弾圧下の長崎。日本で捕えられた宣教師フェレイラが神を非難し棄教し日本人として暮らしているという。そんなはずはない、師は強い意思を持っていてあり得ないと弟子のロドリゴとガルぺは信じて止まず、マカオで日本人キチジローの引き合いで長崎へと向かう。

五島でキチジローの信仰の再生、人々の役に立てていると有用に感じていた。それでも幕府の取り締まりは激化、絵踏をしてもまだ許されず唾を吐け聖母を淫売と呼べと。キチジローだけが許される。
ロドリゴにとってここでは沈黙、無に祈っているかのような感覚。自らの弱さが露呈し葛藤する。そんな中、キチジローに裏切られ囚われの身になるロドリゴ。井上筑後守に一言ロドリゴの口から信仰の否定をすればいいと言われる。選ぶのはキリシタンたちの命か、自らの信念か。

通辞との会話の中でロドリゴは仏陀は人間で神とは違うと。お互いの宗教を否定し合う。キリスト教は日本国では無益で危険な教えであると。フェレイラは日本名を持ち日本の妻を持つと聞くロドリゴはどう感じるか。
キリスト教は真理であり、その土地で変わるものではない。土地によっては作物も枯れる。日本には30万人もの信者がいた。土地が毒される前は。それぞれの意見が交錯する。
沢野忠庵として仏教を信じるフェレイラは人の本性を日本で学んだという。ロドリゴは一向に認めない。
ロドリゴは強くキリスト教を信じ、考えを曲げず、それでも救えない命がある中での葛藤、フェレイラは日本にいる中での身近な苦しみを救うために最適解を見つけたのだろうね。理想的最大幸福か身近な愛か。主に願っても沈黙するのみ。自らの信じたこと、その先に宗教があるのだろう。

「山河は改む」