沙那王

沈黙ーサイレンスーの沙那王のレビュー・感想・評価

沈黙ーサイレンスー(2015年製作の映画)
4.5
BGMの無い映画に引き込まれた、初めての映画でした。

私自身、幼児洗礼を受けたカトリック信者で、父の実家は長崎市内、先祖の一部は横浜で殉教している切支丹です。

自分の意にそぐわぬ形で信者になった共通点から遠藤周作に興味を持ち、いくつか著書も読みました。
1番好きなのは『侍』。『沈黙』については、さほど好きではなかったです。

なのに、映像化されて こんなにも胸に迫るものを感じるとは思いもしなかった。

典礼聖歌に『小さな人々の一人一人を見守ろう 一人一人の中に キリストは居る』という歌があります。
信仰については感覚のようなものなので、うまく言語化できませんが…
正直、信仰なんてのは自分が馴れ親しんだ文化みたいなもん。
ずっとそう考えてきました。カトリック信者なのにね😅
個人的な事ですが、地元教会の一部の神父に腹をたて、勝手に洗礼を受けさせた両親にも腹をたて、信仰を棄てたいと幾度となく悩んできました。バチカンに知られたら えらい事です(笑)

2時間40分の長編映画、その大部分が痛ましい迫害の映像。呻き、泣き、許しを乞う声にならない声。
どんなホラーやスプラッタ映画よりも苦しい。

先に転んだフェレイラが言う。
『今まで誰もしなかった、最も辛い愛の行為を。』
神ハ愛なり。ハがカタカナなのは、縦書きすればイコール(=)に似るため。

踏み絵のキリストが沈黙を破る。
あぁ。
そういうことだったのか。

『日本は沼の様な土地』と、幾度となく役人が言う。
あなた達は気がついていないだろうけれども、どうしようもない泥の沼地でこそ、蓮の種は長きの眠りに耐えて花咲くのだ ということを。

この映画に感化された方には、近年発行された『人生の踏絵』という遠藤周作の本を、ぜひぜひ読んで頂きたい。

旧約聖書の出エジプト記などを読むと強く感じるのだけれども、西洋においてキリスト教の戒律とは集団をまとめるためのもの。もちろん、新約聖書とは全くの別物だけれど。(聖書は約72冊で出来ている。)
そんな宗教、迫害されてでも信仰する人が居たのは、あんな痛々しい姿の痩せた男が神だと言うから。この苦しみを、あの男なら分かってくれるはずだと信じている。

コンヒサンを願うキチジロー。神はすでに彼を許してる。
ロドリゴは、きっとそれに気がつく。だから『一緒に居てくれて、ありがとう』なんだと思う。

イッセー尾形がすごい!すごすぎる。やばい。
リーアム・ニーソンも、すごすぎる!
戦うパパ、この作品では己の内面と戦い続けてる。
そしてフェレイラには「あのお方」が常に寄り添っていらっしゃる。『侍』における、支倉の下男も言っていた。きっと、そういう事だ。
『わしは神を愛しちょるけん、それが信仰ったいね。』
(実際の台詞を忘れてしまったので、勝手に脳内変換しました、すみません。)

映画の始まりと終わりが虫の声と波の音。
弱く儚い人々の、涙の祈りのように聞こえる。

Mスコセッシ監督、諦めずに映像化してくれてありがとう!!
そして全ての役者に万雷の拍手を。
大道具、小道具、衣装、本当に素晴らしい。
長崎の海は、無慈悲なほどに美しい。

もう一度言わせて!
イッセー尾形、最高!
沙那王

沙那王