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さよなら、人類のotomisanのレビュー・感想・評価

さよなら、人類(2014年製作の映画)
4.4
 なにが悲しくて"おもしろグッズ"を売り歩くのか?グッズの効果も覿面で使ってみせるそばからお客が魂げて逃げてゆく。そういえば、「散歩する惑星」ではマジシャンが人体切断に取り掛かると本当に人体を切断してしまう。監督の手に掛かるとイリュージョンだかファンタジーな体裁の事が冗談めかして惚ける先から、とんでもない"本当の事"に変じてしまう。そのおかげ、つまりは監督の"悪い夢世界"のおかげで面白商人サムもヨナタンも商売あがったりだ。
 その一方でただの冗談?単なるたとえ話?いかなる積りの各挿話なのか夢のような話なのに我々観衆的には一種の"本当の事"のエッセンスが香って来るようである。例えば、終幕85分目に現れる"BOLIDEN"の人間窯のような無茶で乱暴な挿話にどことなく「実はこれはね」と囁くようにヒントをくれたりする。
 "BOLIDEN"とは1930年設立、実在の同国の大鉱山会社。植民地駐屯軍風な監視に囲まれて黒人たちが窯の中に追い込まれやがて窯は火で炙られ始める。その人間焼きに向きあうBOLIDEN社と同い年ぐらいの老人たちは祝杯片手にその人間焼きに何を期待して注目しているのだろう?そして、その場で老人たちに酒を注ぐサーバントでもあるヨナタンは、そんな悪夢から覚めて消沈しながら問う「人を利用して欲望を満たすのか」「誰も神に許しを乞わないのか」と。しかしこの経験は奇人ヨナタンの私事に留まり、決して彼の夢世界内でも、その外、監督の映画世界内でも共有されず解決を見る事はない。
 しかし、ヨナタンの見る夢は彼の実世界をこえて我々にギョッとするような感じと共に例えば、フェアトレードであるとか、誰かの権利が蹴散らされているとか、専制的な現地政府への間接的支援とかと共に、"植民地時代"に限らず隣国隣人を食い物にして生きて来た生きものとしての暮らしの極相を突き付けられるような思いにさせる。そこには限られた人のために設備投資して製造技術と生産工程を確立し安定的に製品を供給し、結果、その素材が不当に誰かから剝ぎ取った何かであるかもしれない事も眼中にない、ヒトを食い物にして欲望を満たす仕組みが建設されて、"BOLIDEN"の身内として誰よりも長く生きる喜びもあらわれている。
 この世界の始まりで想像もつかないようなちょっとした「ゆらぎ」が起きて物理学者を困らせているという。例えば何気なく購入できるコーヒーやチョコレートだが、それに何の悪い影を感じなくなれるのもそんな「ゆらぎ」の余韻が今も続いているせいかなんて思ってしまう。それならそれで、面白商人たちが存在する世界も彼らのせいでひん曲がるわけではないだろう。

 そしてその世界はある水曜日の朝、バス待ちの人たちの前にやって来た姿なきハトの声に気を取られた彼らの一瞬を捉えたなり立ち消える。たかがハトだから誰もこころに構えも設けず視線を向けられるが、これがヒトならどうだろう。知った相手か?なぜ顔を隠すのか?なぜ肌が黒いのか?そこで何をしてるのか?問えば疑いのきり無しだ。そして考え始めれば、我々は白人(あるいは日本人?)だから、人間焼きが長命薬と聞いたから(想像するに)、カール王の覇権が叶っていたら小国に甘んじる事はなかったのに(同国最後のチャンスだったのに)などなど、相手について、また対して自分について気にした以上何も考えずにそのヒトを見ないではいられない。
 たかがハトという存在の軽さがいっときなりともみんなの目を集める事ができるのであって、それがヒトなら最悪ガン飛ばしやがったで血の雨降りかも知れない。
 ヒトの存在、そこにいる見知らぬ誰かを確かな事にするとはそれほどの事態でもある。しかし、それまでにご覧の通りヨナタンたちを見舞う出来事はよれよれの二人をけんもほろろに扱って誰もかれらの存在を脅威とは思わない。そんなハト並みに無力である事にこそ、誰をも利用しない、あんなご面相ながら笑ってもらえればというだけの事を仕事の支えに地を這うようであれ日々を暮らす下地が整うのでねえかと監督は告げている。

 だからなのか、38分目、そのハトが枝に止まって考えるお金がなくて貧乏な事を風変わりなヴィルマが詩で訴えようとしても、司会者の巧みな誘導に乗せられて空振りに終わってしまう。監督が訴える自分の世界の出口のなさも誰かが制御しているのか?貧乏な面白商人の貧乏も同じなのか、ヨナタンの夢での暴挙もそうなのか?いろいろな冗談や手妻をほんとの事に転じて見せた監督が今度はヴィルマやヨナタンの出来事だってただのお話のつもりじゃあないよと告げているのを感じる。

 余談だが、あの風変わりなヴィルマを「散歩する惑星」に連れて行ったら、政府主催の生贄会に出されてしまうような気がしてしまう。口を封じないといけない子であって、大群衆にとって多分助けにもなるがどんな理屈でそう判断されるのかさっぱり分からない。二つの世界それぞれの誰が何の意図で動かしているのか不可解なままヴィルマが消えていった事がヨナタンたちの出口なしをも物語り、ついでにみんなも、と例えのはずが本当になる監督の呪術に曝されているような気にさせられる。
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