きゃんちょめ

ヘイトフル・エイトのきゃんちょめのレビュー・感想・評価

ヘイトフル・エイト(2015年製作の映画)
3.9
【感想】

この作品、それぞれの人にそれぞれの人なりの正義がありますね。そして、みんなが嘘を頼りにして生きている。ある意味でそれは、みんなが各人なりのフィクションを信じているのだと言えそうです。というのも、『イングロリアスバスターズ』では作中で、ヒトラーをフィルムで焼き殺したという嘘を嘘として扱う人は誰もいませんでしたし、『ワンスアポンアタイムインハリウッド』でも、作中でロマン・ポランスキー監督一家に起きた悲劇についての嘘を嘘として扱う人は誰もいませんでした。しかし、この『ヘイトフルエイト』では、嘘を嘘としてみんなが扱いつつ、その背後に流れている気持ちは本当のものとしてみんなが扱っていました。そこを考えると、この映画は、タランティーノ作品のひとつの到達点なのかなと思います。僕はタランティーノ作品にはいくつかの頂点があると思っていて、『デスプルーフ』で始まった流れ(=ストリート版のヌーヴェル・バーグの流れ)は『パルプフィクション』でひとつの頂点を迎えると思うのですが、こちらの『ヘイトフルエイト』も、『イングロリアスバスターズ』以降の歴史修正モノの流れの到達点に位置付けられると思います(他にも、『レザボアドッグス』や『ジャッキーブラウン』や『キルビル』などが位置付けられる独特の流れもありますけどね)。ただ、今後タランティーノがどんな流れをまた生み出していくのか楽しみでなりません。

【『ヘイトフルエイト』について】

劇中のバーで、処刑人がこんなことを言う。それもコテコテのイギリス英語でだ。

If you're found guilty, the people of 'redrock' will hung you in the town's square, and as the hung man, I will perform execution.

And, if all those things end up taking place, that's what civilized society calls "justice". However, if the relatives and the loved ones of the person you murdered outside that door locked now, after burst down that door, they drag you out into the snow and hung you up by the neck, that would be "frontier justice".

To me it doesn't matter what you did. when I hung you, I get no satisfaction from your death: it's my job. I hang you in 'redrock' move on to the next town and hung someone else there.

このティム・ロスのセリフが極めてかっこいい。こんなにかっこいい処刑人がいるわけがないので絶妙にうさんくさいし、イギリス英語なところもとても怪しい。それと、このセリフの良さは、みんなフロンティアジャスティスが好きだよねって言っちゃってることだ。ある意味、この段階でこの映画を貫くルールを宣言された感じがした。どいつもこいつもこの映画の登場人物はみんな、ジャスティスじゃなくて、フロンティアジャスティスが好きなんです、と。この、what civilized society calls "justice"と、"frontier justice"との二項対立がこの映画の要だと思う。

それで、最後にこのフロンティアジャスティスは真の意味で乗り越えられることになる。この間接的な契機となったのは、ただ殺すのではなく、ちゃんと協力してしっかりと吊るすことに拘ったことで"文明化された社会の正義"を実現させたことだ。(あんまり文明化されてるとは言えなかったけどね。だって結局、血まみれだし。でも単なるフロンティアジャスティスの実現というよりは、少しは頑張っていたと言えるだろう)

じゃあ、最後に残る2人はいったい何に気づいたのか。この映画の言いたかったことはなんなのか。それは、「フィクションがフィクションだからこそ持つ魅力」って割とあるよねってことである。これに2人は最後の最後で気づいたのだ。

つまり、「「文明化された社会の正義」って結局フィクションだよね、でもそれ割といいよね」ってことが伝わったわけだ。ちょうど社会契約とか平和憲法とか、そういうのが今やただのフィクションであるのと同じあり方で、「正義」ってのもフィクションだよねってことに気付いたのだ。

でも、もしそのフィクションで、未然に防げる争いがあるとしたら、豊かになる心があるとしたら、それでもいいじゃんということである。厳しい現実より、優しいフィクションを信じる。その何がいけないのか。フィクションはフィクションだからこそ、その良さがある。それに気付いたのだ。よく考えてみれば、世の中、理想論や美麗辞句ばっかりだ。でも、理想論って割といいよね、ってことである。北極星には決してたどり着けないけれども、北極星があれば、道に迷った人にもどちらが北であるかが分かるのと同じである。理想論は決して現実的ではない嘘だけれども、理想論というその嘘があればこの厳しい現実に対する慰めにはなるのである。そしてその慰めの方は現実的なのだ。

たしかにあの手紙は嘘っぱちだ。リンカーンの話もきっと嘘なのだろう。だけど、フィクションの良さってなんだったのか。それは、「現実世界においては決してやっちゃいけないことを、やっちゃうことによってしか、伝えられないメッセージを伝えられちゃうこと」である。これがフィクションというものの本質であると私は思う。

クエンティン・タランティーノ監督は、『イングロリアスバスターズ』でも『ジャンゴ』でも、「こうあってほしかった歴史」を描いてきた。ヒトラーが映画フィルムの炎で焼け死んだり、レイシストが黒人に皆殺しにされる話を描いてきた。現実はそうはならなかったけれども、「そうなって欲しかった歴史」を、嘘であるという前提で、描いてきたのである。いや、そもそも『キルビル』なんかでも明らかだけど、タランティーノは、フィクションが大好きな人である。だから、「嘘だと分かっていても、やはり楽しいもの」に対して、わざわざ「「本当じゃないんだから楽しくないよこんなもの!」って指摘しなくてもよくね?」っていう地点にまで彼は本作でたどり着いたわけである。その意味で、クエンティン・タランティーノ監督に対して、歴史修正主義的だ、と批判するのはむしろ野暮だと言えると思う。

最後に、劇中からこの件に関する象徴的なセリフを引用しておく。このセリフにおいて、彼らは、フィクションがフィクションであるとしてもなお肯定されるべきものである所以、すなわち、それを作ったひとが、その裏側に配した優しいヒューマニズムに気付くのである。「ああ、妻のメアリートッドが呼んでいるからそろそろこの手紙を終わりにしなきゃ」などという、明らかに嘘っぽい文章を聞かされたあとで、「that's a nice touch.」と言えるかどうか、そこで我々の優しさが試されているのである。

Hey can I see that Lincoln letter?

"Dear Marquis

I hope this letter found you in good health and stay it. I'm doing fine although I wish there were more hours in a day. There's just so much to do. Time's changing slowly but surely. And it's man like you that will make a difference. Your military success is a credit not only to you but your race as well. I'm very proud every time I hear news of you. We still have a long way to go but hand in hand I know we'll get there. I just want to let you know it in my thoughts. Hopefully our path will cross in the future, until then, I remain your friend.

Oh Mary Todd's calling so I guess it must be time for bed.

Respectfully.

Abraham Lincoln"


Oh Mary Todd, that's a nice touch.

Yeah

Thanks
きゃんちょめ

きゃんちょめ