YasujiOshiba

パレードへようこそのYasujiOshibaのレビュー・感想・評価

パレードへようこそ(2014年製作の映画)
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ようやくキャッチアップ。

なるほど邦題の「パレードへようこそ」って、そういうことだったのか。ストレートだからというわけじゃないけど、こいつはストレートに感動。マーガレット・ファッキン・サッチャーという怒りが、思いがけない「連帯」のパレードへと結実してゆく。そしてそのストーリーの背後にある人間が、それぞれに、感動的なんだよな。

作品の中で歌われる『Solidarity forever』は、アメリカ合衆国の労働組合歌で、1914-15年に労働運動家・作家のラフル・チャップリンによって書かれたもの。

メロディーはアメリカに伝わる民謡で、有名なものは奴隷制廃止論者のジョン・ブラウン(1800 - 1859)を讃える『ジョン・ブラウンの屍(John Brown's Body)』や、南北戦争期の北軍兵士の間でひろく歌われた『The Battle Hymn of the Republic (パブリック賛歌)』で、こちらのほうはその後もアメリカ合衆国の愛国歌として広く唄いつがれてゆく。

その曲がイギリスに渡ると、サッチャーの自由主義と戦う炭鉱労働者たちのテーマになり、そこに性的マイノリティーが連帯を歌い上げるわけなのだけど、日本ではなぜか「オタマジャクシはカエルの子...」という童謡になってしまうのが、なんとも口惜しい。

だって、奴隷制廃止運動家の屍を乗り越えてゆき、それに続く南北戦争の勝利の栄光を称え、20世紀初頭の厳しい労働運動たちに連帯を呼びかけてきたメロディーに、どうしてまた「ナマズの孫ではないわいな」みたいな歌詞がのっかってしまったのだから。

もちろん日本の炭鉱映画にも『フラガール』という名作があるけれど、あそこにあったのは経営の問題。炭鉱からどういう事業に転換するかってことだったじゃない。ところが、このイギリス映画は経営の話はなくて、どこまでも共同体と人権と連帯なんだよね。

そこが大きく違う。ひとことでいえば、プライドを捨てて生き伸びるか、プライドを守り通すなかで活路を見出すか。日本は前者。この映画は後者って感じじゃないかな。

なによりも、プライドを感じたのは、LGSM (Lesbians and Gays Support the Miners)のグループのなかでの次のような会話。

「連中に変態(perverts)って呼ばれたんだよ」
「いいかい。ゲイコミュニティーには誇り高く長い伝統があるだ。もし誰かに、なんらかの名前で呼ばれたら、そいつを受け取って、自分のものにすることになっている」

この会話のあと、自分たちのことを「変態」と開き直ることで、駆られの運動はもう一歩先にすすんでゆくのだけれど、そういえば絵画の「印象派」なんていうのも、もともとは「印象だけで絵を描いてやがる」という悪口だったではないか。悪態をつかれたら、その悪態を自分のものにしてしまうことで、みずからの「プライド」を守ろうという知恵、政治性、たくましさ!

いやはや脱帽です。ぼくらも、プライドを捨ててなんて言ってないで、こいつをお手本にし、プライドを守りきらないと、次々と現れてくる「ファッキン・サッチャー」にいいようにしてやられちまう。
YasujiOshiba

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