さく

セッションのさくのレビュー・感想・評価

セッション(2014年製作の映画)
5.0
これまた過去の記録より…
ネタバレあります。
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ファッキンテンポ!

もうずっとフレッチャーが胸糞悪い。私の忌み嫌う、いかにも日本的な「部活」のシゴキの権化としか言いようがないキチガイ禿教師。

途中途中で、「ようやくアンドリューくんと和解か?」
というシーンも尽くキチガイフレッチャーによって崩壊。
そんなこんなでフラストレーションが溜まりまくった状態で、
ラストを迎える。



ライムスター宇多丸さんは「悪魔との契約」と評した。
悪魔(鬼シゴキコーチ)と契約したもののみが至る境地という世界があると。前述の通り、私は、このいかにも日本的な「シゴキ」の世界が嫌いなのだけど、現実的には、こういう手法によって強くなる人(選手)は居ることは否定できない。

でのやっぱり嫌でしょ? こういうスポ根的なの。って人はこの映画見たら「嫌い!」と言ってしまうかもしれないけど、そこはちょっと待って欲しい。

監督である、デミアン・チャゼルはフレッチャーほどではなかったようだけど、同じようなシゴキを受けてジャズミュージシャンになることは断念したらしい。そういう意味では、絶対、「こういうシゴキを肯定する映画ではない」。

最後の「ニヤッ」で宇多丸さんの言う「契約」が成立して、何となくフレッチャーとアンドリューの和解…みたいな終わり方になっているけど、やはりそれは違うんではないか。

「悪魔との契約」で映画自体は終わっているのは事実だけれども、

私は、もっと先を考えた。
アンドリューがいつかフレッチャーを潰すと。
フレッチャーもどこか心の中で「止めてくれ(潰してくれ)」と願っている(いた)のではないかと。フレッチャーは、自分が音楽家として成長できなかった悔みから、「有望な若手を潰す」ことに執念を燃やしている。

アンドリューもその犠牲者(になりかけた)一人。見ようによってはフレッチャーは、「有望な若手を親身になって育てたい」気持ちが強すぎて厳しい指導に至っている…ような見方もあるかもしれないが、完全に「潰すこと」が目的になっているキチガイ(と私は思う)。

それを踏まえた上でのラスト。

実際あの展開でアンドリューは「悪魔との契約」を超えて、「悪魔を食った」状態まで行っているのではないか。あの後、アンドリューの成功によって、フレッチャーは潰れる。自分より才能溢れる若手によって潰される。

その後、アンドリューがフレッチャーを超える悪魔になるか、
音楽の楽しみを覚えて、天使として君臨するのかはわからないけれど…
さく

さく