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アバター:ウェイ・オブ・ウォーターのdojiのネタバレレビュー・内容・結末

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このレビューはネタバレを含みます

傷ついたクジラとこころを通わすシーンで、思わずうるっときてしまった。大きな生きものと意思疎通をはかりたいというのはこどものころの夢だったし、キリやロアクたちの不安定なこころを、動植物が包み込むような描写にはどれもぐっとくるものがあった。

前作も人間たちの描写が平板だったので、ただ破壊の限りを尽くそうとする純粋な悪でしかない描写は本作でも同様。森林破壊の場面も胸が痛くなったけれど、今回の捕鯨のシーンを悪意たっぷりに役者の方々に演じさせているのをみて、ほんとうに嫌な気持ちになった。もちろんそういう意図ではあるのだけれど、武器とかカニ型のロボットとかまで持ち出して、あんなに尺を割かなくたっていいと思う。

基本的なストーリーというかメッセージはこのシリーズは同じだとは思うのだけれど、それにしてもやりようはあるよなと思う。ロアク、キリ、スパイダーたちの苦悩は演技もあってよかったけれど、その原因である大人たちの描写に奥行きがないから、なんともそこに厚みがない。特にジェイクに関して言えば、ステレオタイプな父親像をそのままトレースしたような言動ばかりで、なぜかれがあそこまで父権的になったのかがまったくわからない。双子の兄を亡くしたことと、海軍での悲劇を経験したこと以外に彼のバックストーリーがないため、なぜあのような子どもとの接し方をしているのかがわからないし、長男と次男との関わりにも説得力がない。だったら兄弟を双子にしてしまって、長男に死んだ兄の姿をみてしまい、次男に自己投影してしまうことからくる葛藤を描くとか、そういった補助線くらい引いてくれてもいいのにと思う。

ハイフレームレートによる計算され尽くした3D映像は、あたらしい表現と呼ぶにふさわしい技術的革新はたしかにある。けれど、ここまでストーリーに無頓着であるなら、映画である必要がどこにあるのだろうとも思う。映画に没入する体験は、視覚的立体感といった認知によるものではなく、登場人物の中に自己を投影してしまうことによる、精神的なものではないだろうか。少なくともぼくはそちらを求めている。映画館の体験はかけがえのないものだけれど、調子の悪い日に、布団にくるまってスマホで観ていたとしても、ものがたりの力がある映画だったら、ぼくは現実を忘れてその世界の中に入り、感情を揺さぶられる。視覚芸術にとどまらない魅力こそ、映画の持つ力なのではないかと、逆説的ではあるものの、あらためて気付かされることになってしまった。
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