賽の河原

モアナと伝説の海の賽の河原のレビュー・感想・評価

モアナと伝説の海(2016年製作の映画)
3.7
ディズニーの隙のなさはやっぱり半端じゃないなと。エンドロールとかから見るにフィジーとかタヒチあたりの神話にうま〜く、それでいて自然に。政治的にも正しい物語を乗せるセンスが圧巻。アナと雪の女王とかマレフィセントなんかは少しその辺りヤダみが出てしまうところを絶妙なバランス感覚で成立させてるのがディズニーの凄み。
ジブリとか日本のアニメーションがハズレを出すなかで絶対外さない感覚の鋭さ、今回も監督2人ですけど、作家性に頼らない合議制の強さが前面に出てますよね。
例えばモアナの村の伝統、「村長はみんな石を積んできた」ってところにこの作品が積んだ「あるもの」。これは完全にディズニーの作品制作の哲学を高らかに宣言しているもののメタファーとも言えて、それゆえに支持される物語を制作し続けられているとも言えますよね。
モアナの故郷の島、ディズニー的な描写の豊かさで凄く「いい故郷」ですよね。でもモアナはその島の「伝統」を乗り越えてより良い島を作る。「偉大な〇〇」を取り戻そうとするある大統領へのアンチテーゼの物語としても説得力がある。
それでいて、そういう大きな物語だけでない。ミクロではモアナという少女が珊瑚礁の外に出て成長する物語にもなっている。
例えば珊瑚礁の外にいる敵はどういう敵ですか?もののけ姫のこだまがマッドマックスみたいに追ってくるシークエンス、彼らは被り物をしてますね。ヤドカリみたいな敵、彼もキラキラしたものを被っている。つまり「何かを被った奴ら」が敵なんですね。味方とも言えるマウイも当初は「釣針」なしでは生きていけないわけです。
でもモアナはそういう敵たちを乗り越えていくわけですよ。「私はモアナ」と歌うシーンが素晴らしいのは「自分が自分であること」を真に肯定するシーンだから素晴らしいんですね。何物も被っていない自分を肯定するという。
海に選ばれた自分は何者なのか?を自分だと肯定するのが素晴らしい。また「海」は生命を育むだけではなくて容赦無く生命を奪うものだということも我々日本人は知っているわけですが、そういう海の禍々しさも描いているのも誠実。このあたりも隙がない。
脚本で言えばやはりマウイのキャラクターにはツッコミどころがあるわけですが、彼もまた自分が何者か分かっていないゆえに惑う存在なわけで、そこに一定の結論を出したゆえにああなると解釈すれば文句は言えないでしょう。鶏を旅に連れ出し、豚は来ないあたりは擁護のしようがないとは言え、やはり強力な寓話になっているので文句は言えませんね。
賽の河原

賽の河原