somaddesign

トイ・ストーリー4のsomaddesignのレビュー・感想・評価

トイ・ストーリー4(2019年製作の映画)
5.0
ゴミにまで命が吹き込まれた日にゃ、いよいよ何も捨てられない

:::::::::::

【以下長文注意】思い入れあるシリーズなもんで


スーーーーゲーーーーー!
あの完璧な完結のその先を描くことができるなんて!

消えてしまったボーの件については、「3」公開当時「とっくにもらわれてしまった(捨てられたわけじゃない)」てインタビューを読んだことがあって、今どこで何をしてるか分からないボーの幸せをウッディーならずとも祈ったものです。

で今回「3」で語るには余る、しかしとても大切な視点が加味されたことでアンディとウッディを中心としたトイストーリーの輪から外れて、新世界へ漕ぎ出したよう。トイストーリー版「フォースの覚醒」みたいでした。

思えば世界初の劇場長編フルCGアニメ「トイストーリー」が誕生してから20数年。ピクサーの歴史と共にあった物語が幕を閉じて早10年近い。その間ジョブズは亡くなるし、ジョン・ラセターはセクハラ騒動でディズニーごと辞めちゃうし、エドウィン・キャットルマンまで引退しちゃって、ピクサーを作った3人はもうどこにもいない。


やー、あまりに多面的・多層的な映画すぎて、一口でまとまりません。どこから考えていいのか迷っちゃう。

①ウッディの物語:子育てを終えた親世代の話
アンディが巣立って、新しい自分の居場所を見つけたと思ったのも束の間、子離れできない自分自身に気づいて新しい人生の目的を模索するウッディの苦悩が痛々しい。過去の栄光や思い出をしゃぶってしまうのは中年以降のお年頃が陥りやすい悪い癖。ウッディが50年代生まれってことはトム・ハンクスと同年代なわけで、生ある限り新しい地平を目指したっていいじゃないって話に思えて号泣。

②フォーキーの物語:自分が無価値と感じてる人の話
会社や社会にすれば自分の代わりがいくらでもいて、使い捨てられることが世の常。自分の人生すら自分が主人公になれない。無価値でゴミ同然だと思ってる人達への物語。生を受けた以上、絶対に無価値な命はないって温かな視点に泣く。なぜだか知らないけど生まれて、奇跡的に出会って互いに影響を与え合える事の素晴らしさの話。何かを選択して生まれてきたわけじゃない事を、底抜けに明るく肯定的に受け止めるのが素敵。フォーキーの成長に泣く。被害者ヅラに慣れると、人生何も進まないってホント思う。

③ボーの話:変わってく女と変わらない男
「シュガーラッシュ・オンライン」に代表される、近年の中年男子クライシス。過去の思い出ややり方にこだわりたいオジサンと、次々と新しい選択肢を模索する女性の対比。過去の成功体験にすがってしまう視野狭窄っぷりが痛々しいし、それがそのままフォーキーの裏返しになっている(自分の価値・役割を狭めてる意味で)。

④ギャビー・ギャビーの物語:幸せのカタチ
「トイストーリー2」のオチが少し不満で、オモチャの幸せが「子供と遊んで愛されること」があまりに唯一絶対の幸福として描かれすぎている。ギャビー・ギャビーの不幸はまさにその事に囚われて、自ら呪われた人形化してしまった悲しさを具現化してるように見えた。翻ってウッディもまた呪われてることに気づく対鏡の関係性。


⑤バズの物語:それぞれの幸せを見送る友人/後輩の物語
よく言われることだけど、トイストーリーに出てくるオモチャの数々は今作に携わる監督やアニメーターの暗喩だと思う。子供に寄り添い楽しませることを目標に日々奮闘する。時には飽きられ・忘れられ、残酷に捨てられることもある存在ではあるが、いつか子供が成長した時には寂しいけれど巣立ちを見守る存在。「3」はそういう終わりにも見えて、巣立つ背中を見送りながら新しい子供達の為に決意を新たにする物語だった。今作だとスティーブ・ジョブスを筆頭にジョン・ラセター、エドウィン・キャットルマンら草創期を支えたメンバーが軒並みピクサーを離れ、古参メンバーらも一線を退きつつある年齢にさしかかって、新世代へのバトンタッチに感じた。
監督を務めたジョシュ・クーリーがピクサー生え抜きで監督デビュー作というのもあいまって、去りゆくベテランの黄昏と、ある種の軛から解き放たれた想像力の広がりを予感させる夜明けのラストショットに泣いた。


不満は、ウッディの物語すぎて他のアンディのオモチャ達に全然見せ場がない。バズですら有機的に物語に関われなくて、巻き込まれた傍観者みたい。今までの絆はなんだったのか。

フォーキーには命が吹き込まれるのに、トラックのオモチャには命がないみたい。これはあれか、サルカニ合戦で栗が喋るなら柿が喋ってもええやんけ問題か。

66本目