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トイ・ストーリー4のkasmiのレビュー・感想・評価

トイ・ストーリー4(2019年製作の映画)
3.5
おもちゃと子供の関係は、共依存に近い。そしてさらに、おもちゃが「もちぬし」に抱いている信頼や忠誠心は、子供が親を絶対的な存在と認識しているのとよく似ている。
その関係の中で、子供がおもちゃから離れる、卒業する日が来るように、(そして更に先の未来で子供が大人になり親から離れて自立するように)、おもちゃもまた子供から離れて自立した自分の道を生きる決断をした、そういう日の話だった。

トイストーリーのシリーズは、郷愁というか、なつかしくて泣いてしまうような感覚を揺さぶられる。音楽も色合いもおもちゃ箱のモチーフも、大人が見ると「幸せだったあの頃」を回顧せずにはいられない。
だれもがアンディだったし、誰にでもウッディのようなともだちがいたはずだ。(私は現在進行系かもしれないしそうして依存してろくに恋愛もせずにいるからこうしていつまでも大人になれないのだろうか、、)
私は、ものに半端なく感情移入してしまうので、トイストーリーみたいなのには弱い。

シリーズ全体の特徴として、子供の世界とおもちゃの世界を重ね合わせて描いているように思う。おもちゃたちの生きる世界は、かつて私たちが幼かった頃に生きていた世界だ。
あのころのようなスケール感、世界がとんでもなく広くて怖いものでいっぱいで、不安とか心細さがつねにつきまとう感じが、よく似ている。

今作で目指した一つの方向性として、「人間中心主義からの脱却」が挙げられるだろう。
「人間に遊んでもらうため」にだけ存在しているおもちゃ、人間が使わなくなったら押入れの中でずっと時を過ごし、いつかまた取り出してもらえる日を待っているだけのいのち、ではなく、自分自身の意思で自分のための幸せを生きる、もちぬしのために生きるのではなくて人間と同等に決断する主体をもった存在としてのおもちゃたちが描かれた、というのはとても大きな転換だった。
わたしたち人間にとっても、それは救いのように思えるし、おもちゃにとってもその設定はきっと喜ばしいものだと思う。

そしておもちゃたちが自立する契機になるのは、やっぱり「恋愛」だった。ウッディはボー・ビープへの恋心を自覚し、彼女と共に生きていきたいのだと決断することで、持ち主の元を離れて自立することができた。
いつだってそうだ、古今東西、どの物語でも、恋愛が自立を呼ぶ。それは、恋愛がその構造上、個と個で真剣にひとに向き合うことを人間に強いるものだからで、それが人に自立を促すというのは当然のことだ。
でも「ああ、やっぱりかあ」と思わずにはいられず、そこがまた、人生の悲哀、とも思ったしそれだからこそいいのだ、とも思った。そう、私はバズに感情移入して涙が止まらなくなってしまったのだ。

バズとウッディはずっと良きバディだったし、親友だったし、それなのにあんなにあっさり別れて、別々の運命を歩むことになるなんて、本当にそれでいいの?!と思ってしまった。

ウッディは自由を勝ち得た。自分のために生きる第二の人生が始まった。それがよりによってバズの決め台詞「無限の彼方へ」の言葉で表されていることが、たまらなく切なく美しかった。
彼らは離れていても同じ言葉を胸に繋がっていて、一生友達でいつづけることができる。でも、なんだか友情はいつも恋愛に負けるみたいで、悲しくて寂しくてやりきれない気持ちが残る。
そりゃあ恋愛は、「近くにいてなんぼ」の関係性だ、恋愛の先に結婚が想定されているのだとしたら尚更のことだ。常に一緒にいて、共に人生を歩んで、同じ時を過ごすことが必要条件だ。
でも、友情はそうじゃない。もっと深くて、風化することがなくて、会わなくても別々の時を過ごしても繋がっていたりお互いを特別に思ったりするものだ。
これはもう、特質みたいなものだからしょうがないのかな。
それでも私が寂しく思ってしまうのは、自分の人生経験や信じたいものに依るところが大きいんだろうな、と思う。

バズは、なんであんなにバカなのにイケメンなんだろう。
ボーも、逞しく強くあっけらかんと自由を生きてる女性で、とても魅力的だった。また、あの潔さも、最終的にウッディを見捨てない情の深さも、とても「女性」だった。
ウッディの優しさと活躍も素敵。

新キャラ、フォーキーとダッキー&バニーは、いいキャラだったがあまり重要な役どころではないように感じた。
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