さわだにわか

プリデスティネーションのさわだにわかのネタバレレビュー・内容・結末

プリデスティネーション(2014年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

素晴らしい妄想映画だと大感動したので公開時はループ系/タイムパラドクス系の映画として見る向きも多かったがそのうち妄想系としてこの物語の真価が理解されるだろう…と待ってましたがなんだか全然そんな気配がない。

いやいや、確かにこれという答えを出す映画ではないし、原作はシンプルなタイムパラドクスものというか、「俺が俺とヤっちゃった!」っていうアイディア一発ものなので、素直に時間SFとして観ることもできますが…でもそうすると腑に落ちない点たくさんありません?

反則技のようだけれども全部主人公の妄想説を取れば種々の疑問なんか跡形もなく氷解するんですけどね。じゃあ誰の、というかどの時点の主人公の妄想なのか。冒頭に出てくる病院で寝てる老人主人公でしょう。

あまり詳しく解説する気力もないのでとくに重要な二三のポイントだけ申せば、タイムリープを繰り返せば認知症になる設定ですが、これは映画オリジナルで原作にはありません。もうこれだけで答えは出てるんじゃないかと思うのですが、要は主人公のタイムリープ妄想は認知症の症状です。だって自分で自分を産むなんて与太話もいいところでしょ。出産するまで両性具有に気付かないなんてことが妄想の中以外で有り得ますか?

で確か、タイムリープばかりすると認知症になるぞと主人公に警告するのが多くの人を悩ませているらしいロバートソンという人物です。ほら綺麗に解釈できるじゃないですか。あの人物は主人公が入院している病院に現れるわけです。医者なんですよ、あの人は。でも主人公はそのことを認めたがらないし、何か彼の手の平で踊らされているように感じているんです。それはロバートソンが医者だと認めると彼の妄想は全て壊れてしまうからで、無意識的に彼はそれを強く恐れている。妄想の中で彼は今の惨めな自分とは全く違うスーパータイムエージェントなわけですから、その妄想を手放すわけにはいかないんです。

かような突飛な妄想に主人公が耽溺するようになったのは幼少期のトラウマ的な孤独体験が原因でしょう。孤児院で主人公が体験したことは単なる設定として見逃すべきではない。でないと主人公が慕っていた女教師の性行為を目撃するシーンに何の意味もなくなってしまいます。

性行為を目撃して女性不信に、といえばまた随分ベタなという感じですが、極めて記号的に構成された物語ですから、こうした場面は女性不信の記号として理解できるわけです。主人公は両親を知りません。親代わりだった女教師の性行為を目撃してショックを受けました。この2つの原体験が彼に自分とヤッて自分を産むという狂った発想を植え付けました。

主要登場人物が全て自分なのは彼がその生涯を通して他者とコミュニケーションを取ることがほとんどできなかったからです。彼には友達がいません。もちろん恋人もいません。童貞です。どう人と関わったらいいのか分かりません。ですから後半、タイプライターを買いに行くシーンで、そこの店員か何かだったかと思いますが、彼に対してまんざらでもない感じで接してくれた女性から逃げてしまいます。これが彼のタイムエージェントなんかではない本当の人生で、だからこそ彼はタイムエージェントの妄想に逃げ込むのです。孤独な人はいつも「もしあの時ああしていれば…」なんて考えてばかりいるものですからね。

最後に、爆弾魔について。これも原作にはない映画オリジナルですが、基となったのはおそらく山小屋に隠棲し社会に異を唱えるために70年代から活動を始めた実在の爆弾魔・ユナボマーでしょう。劇中で爆破事件が起こるのは確か71年とかだったと思います。それから老人主人公が入院するのは92年?ぐらいだと思いますが、ユナボマーが逮捕されたのが96年なので、それを意識しての時代設定というのはおそらくあると思います。

じゃあ主人公はユナボマー(的な)だったのでしょうか。おそらくそうではない。彼はテレビで見たユナボマー事件に自身の願望を重ねたんです。彼と同じような孤独が生んだ世界への憎しみをそこに見出したのです。ここには孤独な人間が世界に対するときのアンビバレントな感情がある。一方で無条件的に世界に(人に)愛されたいと願いつつ、もう一方では自分を愛さない世界を激しく憎む。

これが主人公が爆弾魔妄想を抱いた理由です。孤独から世界を爆破しようとする自分の存在を孤独から世界に受け入れられたいもう一人の自分は受け入れることができない。だから彼は爆弾魔の自分を自分で殺す必要がありました(むろん象徴的な意味でです)

しかしながら、それで何かが変わることはないのです。タイムマシンは動き続ける。なぜなら自分の妄想の中で悪い自分を殺しても、当然ながら他人の知ったことではないからです。妄想の中で何をしようが彼の孤独は結局癒やされないのです。癒やされないからタイムエージェント妄想にまた逃げ込む。その繰り返し。

この物語は円環構造です。妄想の内容が認知症的な堂々巡りであるばかりではなく、妄想を作り上げる本人の思考もまた出口のない円環を成してしまっているのです。

この感想こそお前の妄想じゃないか、と思われる方はとりあえず妄想説に乗って映画を見直して見ると、たぶん複雑怪奇で謎の多い物語に明確な筋が通るんじゃないかなぁと思います。本当は怖くて残酷で切ない映画なんですよ、この映画は。まぁ、俺の妄想の中ではね…。
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