ぷーや

エル・トポのぷーやのネタバレレビュー・内容・結末

エル・トポ(1970年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

あらすじだけを説明しようとすれば別にできないことはないし、話の流れは分かるんだけど、映像の見せ方とか人物のアクの強さ、宗教観や死生観等のごちゃまぜないまぜ感が相まって闇鍋感のある映画だった。

ぱっと見キリスト教モチーフが多いけど、カブトムシだかフンコロガシだかのケツをかじってるところあたりは土着宗教ぽい。中盤主人公が丸坊主にしてからは僧侶感が漂い、主人公が最後どうなるかってとこも実際のある出来事が元になってるだろうし、わざわざこういうチョイスでまぜこぜにした意図が気になる。

序盤に出てくる腹が割かれた馬なんかは遠くからの画でも明らかに作り物と分かるようなもので、そのシーンこの映画の何となくの美術の精巧さレベルはこんなもんかと当たりつけたら、それが一変、後に出てくるうさぎと羊はあまりに本物ぽくて、明らかにさっきの馬とは違う、そこに生きとし生けてたものの面影を見る。それらを今じゃ考えられないようなスプラッタな扱い方をしてて、あれは生き物なのか、であればなぜ生き物にしたのか、作り物では駄目だったのか、あるいは単に馬の腹を割くのは大変すぎたというだけか。

あとは死者に蜂が集まりはちみつができるカットは何なのか、死から生なのか、ならなぜ蜂なのか、蜂が集まったのはなぜあいつとあいつだけなのかとかも謎。

話の大きな流れは、利己的マンが改心して利他的マンになるって感じで、じゃあ当然改心のとこに重きが置かれてしかるべきで、そこに十分な理由付けをしていくのが脚本の本道なんだろうけど、この映画ではさにあらず、腹撃たれて死んだと思ったら、地下で崇め奉られてた。自称神から他称神になってるし、髪は黒から金になって、心も黒から白に。それっぽい独白もなし。しばらく主人公変わったのかと思ってた。捨象されたものには映画の本質がなかったということなんだろうか、でもたしかにそこにツッコミを入れたくなる気持ちはなく、そんなに違和感はなかったかも。

こういうところからオーソライズされた鍋から外れた、闇鍋感を感じた訳で、ただ別にそれがまずくて食えたものではないということではなく、全然食べれるけど、鍋に何が入ってたのかということまでは自分の馬鹿舌ではあまり良く分からなかったという感想。闇鍋は答え合わせ的な楽しみもあるものなので(闇鍋したことないけど)、この映画のそういう解説を読んでみたい。
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