曇天

バケモノの子の曇天のレビュー・感想・評価

バケモノの子(2015年製作の映画)
4.0
話として好きな部類だし、概ね良作だと思った。でも嫌いな人が多いのも十分納得できるバランスの作品だったな。

まずディティールから。バケモノは顔しか動物っぽくないのが気になってたけど戦闘時に獣化するのは感心。熊鉄と九太の掛け合いが楽しい。渋天街の世界観はそこまで好きではないけど熊鉄の家周辺が渋谷のシネマライズ?近くの坂道っぽくて驚いた。
とにかく序盤の九太の現代っ子らしいつっぱり方が可愛すぎる。生卵が食べられなかったり、棒さばきが拙くて赤面したり、個人情報を主張したり。教え方が粗暴になる熊鉄にも笑う。演出の上手さは言わずもがな。『サマーウォーズ』より断然好き。全体としてデザインよりアニメ特有の動きの気持ちよさを重視している節もある。有名人を使っていながら少年九太と熊鉄の配役はすごい。大泉洋の顔が出てこなかったアニメも初めて。染谷はがなりができるので、ある意味熊鉄っぽくて合ってる。

心象とか状況を台詞で説明しちゃう監督のクセが本作で際立って、鬱陶しく感じることも多かった。でもアニメは子供が観るものでもあるので、シーンの意味をその場ではっきり示しておく判断は間違ってはいない。

バランス問題でいうとまず、渋天街の持つ意味が段階的に変遷していく。これは子供目線と大人目線を併用するとよくわかる。冒頭で親がいなくなってから親しくない親戚との関係が嫌になって家出をして、たどり着いた先が渋天街だった。その最初の印象はやっぱり、現実とは違う空想世界やキャラへの「好奇心」が強く出ている。子供目線で見るなら、アニメ映画に興味を抱かせるための空想性は重要で一定の作り込みは大事。少年時代を面白く経験させるための舞台装置だから、武術で強い者がエライ=中華風のデザインになるのもわかる。師弟制度にも憧れやすい。

でも楓と出会って勉強を始めて、実の父親と再会することで渋天街の意味が「好奇心の対象」から「少年期を過ごした仮住まい」に切り替わる。大学を目指すこと自体にあまり意味はなくてつまり現実世界のレールに戻ることを示してて、そのための九太の二人目の師匠として楓がいる。観てるとここで急に大人目線を要求されて、九太の物語においては現実の親と空想の親のどちらを選ぶかの「選択」がメインになることがわかるので、熊鉄以外の渋天街の全てが薄い舞台装置に成り下がってしまう。『千と千尋』みたく芸術性に富んでいたり現実の社会のメタファーになってるようなものでもないので、自分もガッカリな感じが増したし、レビューで薄っぺらいという感想が多くなるのも仕方ない。

でもやっぱり渋天街は九太の少年時代特有の欲求を満たすためだけの舞台装置であって、いずれ去って現実に戻らなければならないような場所なので、その浅薄さ含めて適切なデザインだったと思う。強い奴と戦って強くなるなんてのは所詮中二病を具現化した世界なのだし、デジタルワールドに近い。
そんな爽やかな成長物語になりそうな設定に「義父」という大人な設定を盛り込んできちゃったのが細田さんらしいといえばらしいし、結果歪なバランスになり結末の作り込みが難しくなった要因でもある気がする。

一番に挙げるなら一郎彦の処遇かな。九太と同じくバケモノに拾われた子なのに九太と交流が全く行われず、心の闇を育て続けるとどうなるかを見せるための「なれの果て」の役目を担わされてる。結局彼は渋天街に残された=少年時代を抜け出せなかったわけで、最悪の投げっぱなしエンド。これは孤児を扱う話としてどうなんだろう…彼は九太と違って家出じゃないし、渋天街を孤児の受け入れ先として見るならそれも別の社会派でいけそうな気がするが『バケモノの子』のそれまでの軽やかな作風に全然合わない。九太との交流もほぼなくて作者がそこの絡みを無視したとしか思えない。一朗彦の子供時代はエリートらしい情操教育を施され、道徳心を持ってはいるが現実から目をそらされて育てられている。九太の対照と見るなら、子供は殻に閉じ込めるな何でも経験させろというメッセージか。にしても最後の展開は一から十まで熊鉄と九太のためのものだった。クジラは『白鯨』に示されるエイハブ船長の心の闇の体現であるがそれ以上の意味はないし。勢いある展開のために枝葉を捨象するんだよなあこの人。熊鉄と猪王山の決闘までは本当に楽しく観れた。それだけに本当もったいない思い。

世界観が中途半端なうえ設定の後出しが多くて魅力がボロボロ。現実世界の衝撃が影響することなど所々後出しが多くて気になる。人間が危険な存在ってことが慣習的に知られているのに気にせず九太に接する人も多くて違和感。細かい部分に世界観の拙さが出ている。

それでも好きなところは多いんだよな。やっぱり九太がさぞ親に可愛がられて育てられたんだろうことがわかる描写が大好き。その反作用として熊鉄が粗野に自由奔放に振る舞うことで師弟関係が面白く機能する。九太と熊鉄の関係性自体が少年時代の憧れであってそれは成長過程で通過すべきものとして描いている。九太の心の支えが母親だったものが熊鉄という父親に変わる、という乳離れをも描いている。少年主人公は『ぼくらのウォーゲーム』以来で、細田さんが同じように少年時代を客観的に描いた作品をまた作ってくれて嬉しい。もっと外側から見ればディズニーなどが3Dを使って教育的アニメを作るなか、2Dアニメとキャラの良さを活かして親世代にも訴える作品を作り続けてくれる細田さんはやっぱり希少価値。演出は上手いが脚本は上手くない、けど興行的に成功していれば自分は許しちゃうかなあ。
細かい描写の粗っぽさが気にならなくはないけど演出で見やすくなるのですぐ忘れちゃうんだよなぁ。少なくとも映画館で観ておけば良かった。でもこのバランスに慣れて気にならない人が増えていけば現代のスタンダードになっていくこともあるのかもしれない。
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