純

怒りの純のレビュー・感想・評価

怒り(2016年製作の映画)
4.5
ひとを信じることの弱さと強さを濃厚に描いた、重い1本だった。

鑑賞前は殺人事件の犯人は誰かという点に焦点を置いたミステリーものかと思っていたけど、全然違った。東京、千葉、沖縄という3つの舞台でのそれぞれの人間ドラマが、あくまで八王子夫婦殺人事件という殺人事件を軸に、共通項にして繰り広げられるにすぎない。つまり、殺人事件の真相を解き明かすというよりは、事件をもとに生まれる疑惑、疑惑が生む恐怖と後悔、そしてそれによる怒りという、人間の内面を真正面から受け止めた作品だと感じた。

真正面といえば、人間の内面だけでなく、日本人が目を背けたい社会問題に嫌でも目を向けさせるような演出が印象深い。同性愛についてもそうだし、米軍問題もそう。前者は設定がかなりいい。東京にいる優馬の住むマンションを見て「えっ、超リッチ…」ってびびってたんだけど、この設定が同性愛者の苦しみをより痛々しく描いていると思う。あれだけの東京のエリートで、地位やお金をはじめとして持ってるものはたくさんあっても、同性愛者であることは死期が迫る母親にさえも言い出せない。自分という人間が空っぽなように感じる中で、周りの物ばかりが増えていく「虚」「偽」でしかない人生。彼の母親が言う「お前は大切なものが多すぎる」という台詞は、そういった嘘の人生の舞台から降りた際に失うものの多さを皮肉的に表しているように思った。素の自分でいるためには何の必要もないものたちの理不尽な重み、愛するひとや自分自身を採掘してなおそれらに執着してしまう自分の弱さ。優馬という同性愛者は、知られることに恥は感じなくても、失うものがありすぎるがゆえに知られることを恐れ、避けてしまう悲しみを抱えている様が心に染みた。

後者、沖縄のストーリーは、あの綺麗な青が広がる海を背景に、びっくりするくらい心臓にくる展開だった。そもそも米軍による強姦だとか米軍基地問題だとかのテーマからして重いんだけど、活動参加者の熱意とそれを冷めてみる登場人物の視点など、多面的に描かれた現実味が可哀想でもありおぞましくもある。

千葉でのストーリーは、設定も素晴らしいのに加えて役者の演技が飛び抜けているように思った。宮﨑あおいと渡辺謙に自然体であれだけ迫力のある演技をされたら鳥肌が立つ。ひとが無意識にでも他人を決めつけていること、見下していること、諦めていること。否定したいのにできない人間の内面の闇、脆さ、恐ろしさを全身全霊で伝えてもらった。

先に述べたようにあくまで殺人事件を軸に持ってきていて、犯人の特徴等をそらぞれの話に上手くリンクさせているところが秀逸だった。最後まで誰が犯人なのか分からなくさせる工夫がなされていたと思う。あとはどこまでも心臓に負荷をかけてくる坂本龍一の音楽がとにかくすごい。なんというか、威力がすごい。音楽は語るものではないからこれ以上は言わないけど、一切のプラスの感情を吸い取るような魔の音楽だった。

作品中では、3つの舞台に分かれた上で、自分への怒りと他人への怒りが複数描かれている。それでもやはり、2つは自分への怒り、残り1つは他人への怒りが特に押し出されていたように思う。ここの対比が痛いほど強烈で怖かったし悲しかった。怒りはひとが持ちうる最も強力な感情と言われる中で、信じるべきひとを信じきれなかった自分自身へその感情を向けたときに皆が慟哭する。怒りという感情が涙と叫びに姿を変える。信じるという行為は残酷なくらいひとを強くも弱くもする。強くなりきれなかった人々が自分の弱さに怒ると皆こうなってしまうのかと、なんとも言い表しがたい恐怖と絶望を味わった。

相手が自分にとって大切であればあるほど、「知りたい」とひとは思ってしまうし、信じたい気持ちと相手の心にもっと踏み込みたい葛藤に苦しむ。信じていないから言わないんじゃなくて、信じているからこその沈黙があるはずだと分かってはいても。他のひとなら何かを隠す私を不審に思うだろうけど、あなたなら私を尊重してくれる、私が話さないのは罪悪感からでも不信感からでもなくあなたへの信頼があるからだとわかってくれる、私はあなたを信じている。そんな多少傲慢な危うい期待を抱けるほどの信頼だって、この世にはあると思う。でも、きっと理屈でわかっていようといまいと関係ない。相手が受け止めてくれようと突き放そうとどうでもよくて、ふたりのために言いたくないことだってあるとしても、それでも言ってほしいと思ってしまうのかな。相手がどうしようもないくらい自分にとって大切だとしても、大切だから、相手を壊してしまいそうでも自分の欲を相手に押し付けてしまうのかな。

個人的にもうひとつ印象的なのは、直人の言った「わかろうとしないひとたちに言っても無駄」という内容の台詞。私はこの世界には「わかろうとしないひとたちにもどうにかして伝えたいこと」と「必要なひとたちにだけ伝わればいいこと」があって、閉ざされたマイノリティの世界に生きる直人にとっては、後者があるべき姿勢としてうつるのだろうと思った。世間からの非難と冷遇に耐え、たったひとつの理解を求めるその生き方は、悲しくもあり綺麗だなとも思う。わかろうとしないひとたちを排除するからこそ、唯一の理解者であったはずの自分が相手を信じられなかったら、ひとはどんな後悔をして、どんな怒りを胸に抱くんだろう。

ひとつ言うとすれば、様々な怒りの理由がある中で、犯人の怒りだけが妙に曖昧なまま作品が終わったのが気になる。間接的に怒りの理由が作中で明かされるけど、「あ、それが犯人の怒り?なの?」とちょっとだけ腑に落ちかねるというか、あれだけの怒りを露わにするひとの理由があれで、しかもそこはぼかしちゃうのか、って少しモヤモヤが残った。そもそも犯人はイカれた思想の持ち主という扱いを受けているし、その設定のまま「多くのひとには理解されがたい怒りの理由」を用意したのかもしれないけどね。

今作は間違いなく、現代人が抱える社会問題と内面の闇をまっすぐに見据えた1本と言えるし、魂を揺さぶる作品を選べと言われたら私は迷いなく、この作品の名をあげたいと思った。
純