曇天

シン・ゴジラの曇天のレビュー・感想・評価

シン・ゴジラ(2016年製作の映画)
4.8
今回『シン・ゴジラ』は、かなり興奮して観終わったのですが、まず行政府という舞台に馴染みが無さ過ぎたので…直後に感想を書くのは放棄してしまいました。上手く感想を書くことより世間の評判の方が気になったんです。結果、絶賛意見が多かったので安心しました。
直後の感想を見ていると、『シン・ゴジラ』を読み解こうとするどの意見も的を射ているなあと感じています。それもこの映画が、誰の目にも明らかなようにわかりやすい構造で作られているからだと思います。それでも様々な人の見方に教えられることの方が多かったです。その中で得た見方も取り入れつつ自分の書ける範囲で感想にします。あんまり内容には触れられませんが(技術的に…)。

観た人ならわかるけど今回のゴジラは今までのゴジラとは明らかに違う。ゴジラを倒そうと国と自衛隊は持てる限りの武器を使って策を講じてみるのだけど、ゴジラはそのどれをも凌駕する進化を遂げて平然と移動を続ける。皮膚はミサイルも通さない、死角のない熱線、およそ生物らしい行動原理も読み取れない、現実を無視した虚構でしか成立しえないスペックのゴジラ。こんな風にゴジラがいかにも「使徒」的な性格だから、各所で「エヴァ」だと言われるのもわかる。でもこういうバランスになったのにも理由はちゃんとあって、やっぱり初代『ゴジラ』の時の印象を再現しようという目的にある。
1954年に観た観客は初めてゴジラを見たので相応のインパクトを経験することができたはずだが、現代人はもうゴジラを知った状態だ。当時と同じくらいのインパクトを経験させるにはゴジラじゃないゴジラを見せるしかない。しかも別物と感じさせるほどの恐怖を植え付けるような、交渉不能さを覚えるような生物に作り替えた。これで初代を再現したことになるはずだと。凄いことを考えなさる。

脚本は怒涛の情報量で、早口でやりとりする官僚を模したというが、何となくで要点だけ聴き取ればムツカシイお役所言葉などは聞き流して問題ない。一方で、いやでも耳に残ってしまうのは「避難勧告」「放射性廃棄物」「モニタリングポスト」「収束」などの、311以降に耳になじんだ放射能に関する専門用語。ゴジラは放射線をまき散らしながら東京を移動するので、住民は一斉の避難を強いられ、政府は災害さながらの巨大生物被害を前に対策に追われる。
今回のゴジラは、ゴジラを災害に見立てて、状況に対処する官僚の視点から311を追体験させている。ゴジラは津波であり福島第一原発であり、あらゆる想定外の事態の象徴として描かれる。

そもそもゴジラは登場した時から既に時代を写す鏡だった。高度成長が始まり戦争を忘れようとしていた日本人に【戦争の恐怖】を思い出させるため、水爆から生まれたゴジラをつくり出して国土を蹂躙させた。初代『ゴジラ』で思い出させたかったのは原爆投下や東京大空襲。今回『シン・ゴジラ』で思い出させたいのは、311時の国の対応だったり、原発問題が収束していないことであったりするのだ。
311を追体験させる『シン・ゴジラ』では同時に「初代を意識して作った」ということを強調して紹介していることから、本作は初代『ゴジラ』が持っていた「ゴジラ映画を作る意味」をも復活させようとしている気がする。つまりゴジラは「時代を写す鏡」。ただの怪獣映画ということではなく、日本人が経験した遺恨のタイムカプセルといったような、日本人が都合よく忘れようとした時に必ず誰かが製作して過去を思い出させる時限装置のような特別な意味を持つキャラクターとして再認識させようとしている気がする。
ゴジラを怪獣映画じゃなく本来の意味でツール化することが初代への最大の賛辞方法だし、確かに今やる意味もあったんだと思う。

同時に初代が本来、子供を楽しませるような映画でもなかったという点も踏襲してると思う。初代は敗戦から9年後、当時の子供は戦争を経験していないからわかるはずもない。ゴジラ映画のイメージからはかけ離れるが原点回帰を目するならこれも仕方ない。
細かい部分を何も書かなかったので書きたくなったらまた追記するかもです。これで多くの日本人が観てくれたらより最高の気分ですね。まずは週末の興収だ…。
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