真田ピロシキ

シン・ゴジラの真田ピロシキのレビュー・感想・評価

シン・ゴジラ(2016年製作の映画)
2.9
作品の捉え方なんてその時の自分によっていくらでも変わる。2回映画館で見たこの映画もそう。震災のメタファーとして捉えてた部分が多くて今もその面が強いので悪印象はあまりない。突如現れた巨大不明生物によって破壊され尽くす街と失われる生活。死亡描写がない事が批判されるが逃げ遅れた市民のワンカットだけで十分描けていると思う。内閣総辞職ビームで大杉漣以下の面々が消し飛ぶ瞬間を見なくても人が死んでる事など明白。そんな事より致命的なまでに事態が悪化してやっと当事者となりえるお役所意識や対米関係など虚構の中からニッポンの現実が見える点を買いたい。

特撮には縁が薄く過去のゴジラを結構見ているもののそんなに言えることはない。反感を承知で言えば初代以外は子供と大きなお友達向けとしてはこのくらいのものだろうキングギドラはカッコいいねくらいの認識。なので純粋に映画としてつまらなかったエメリッヒ版はともかく、ギャレス版を見た時は日本のゴジラなどもういらんと思っていた。しかしこれは日本人の視点がなければ作れない。そしてギャレス版で地位を脅かされたからこそこの映画があるのだと思う。ゴジラが再び動き出したなら発射される予定の核ミサイルにハリウッド版ゴジラの存在が感じられる。そこに様式に固まる事を止めて切磋琢磨するクリエイター精神が見えて好きですよ。石原さとみの怪しい英語は昔の特撮オマージュと聞いた時は納得行ってそこも今では好ましい。ハードルを爆上げした次の国産ゴジラをどうするのか気になるところ。

受け入れ難くなったのは当時は意図的にスルーしてたナショナリズム性。未曾有の国難に対してスポットライトが当たるのは与党政治家と官僚がほとんど。アレ政権など真っ先に逃げ出して「トランプ様!一刻も早く核を撃ってください。見返りに辺野古と言わず沖縄全てを差し出させていただきますから」と言ってる姿を想像する。官僚?正確な数字の把握すら出来ない(したくない)連中がなんだって?すっかり軍アレルギーとなった身ですらアパッチの攻撃シーン(ゴジラの装甲に弾かれる音が良い)には震えたのだが自衛隊を無批判にヒーローとして見る事など最早出来ない。庵野秀明はイデオロギー的に中立を貫こうとしたのかもしれない。でも世の中が偏りまくってるのに中立アピールをしても中立になどならない。本作の公開時にはその中立性を持って「イチャモンをつけてる人の偏りを炙り出している」と嘯いている連中を見た。映画の外でも見せられたニッポンの現実。