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懲罰大陸★USAのTAのレビュー・感想・評価

懲罰大陸★USA(1971年製作の映画)
3.7
 1970年、アメリカ。ベトナム反戦運動の激化を背景に、ニクソン大統領はマッカラン国内治安維持法を発令、アメリカ政府は“反政府的・危険分子とみなした者”たちを一方的に拘束、一方的な裁判にかける。そして被告人には2つの選択肢が与えられた。
 言い渡される懲役刑を受け入れるか、懲罰公園で3日間過ごすか。
   本作はその裁判や懲罰公園での様子を、取材のためカメラクルーがインタビューしながら撮影するという形式で進むモキュメンタリーである。

 作品における懲罰公園とは、架空の「ベアーマウンテン国立懲罰公園」のことで、懲罰公園を選択した犯罪者を公園内に設置されたゴールフラッグ目指して走らせ、警察や軍隊に訓練としてこれをコントロールさせることで、組織の執行力向上を目的としている。
 所謂、政府主導の”疑似人間狩り公園”だ。演習に参加する警察や軍隊は、対象者がコースを外れたり攻撃してこない限り発砲等は認められていないとされているが、その訓練風景は正に “狩り”の練習さながらである。

 物語は、既に懲罰公園に送られたグループの様子と、今現在裁判を受けている別グループの様子が交互に映し出されるが、裁判において、感情に任せてそれぞれが持論を展開する様はカオスとしか言いようがなく、一見上等な理念に聞こえるものも、それを口にする人間と環境、その発信のしかたによって綺麗事にしか聞こえず、醜い論戦に成り果てている様がある意味痛々しい。加えて懲罰公園において展開される“ゲーム”は、体制維持のために与えられた仕事をこなす部隊と、拘束された人間の自分自身を守るための短絡的な暴力の応酬でしかない。
 71年のカンヌ国際映画祭出品後のニューヨーク公開時、“国家権力の暴走”を極端なまでに膨張させた表現と攻撃性を持った鋭いメッセージがあまりに衝撃的であるために即座に反応したメディアから総攻撃を受け、僅か4日で放送を打ち切られると全米のテレビ局も放送を拒否。以来一度も日の目を見ることなく現在に至るという曰くつきの作品だ。

 多くの評論をよそに、私には単に「権力による暴力や暴走を告発する作品」とは映らなかった。
   確かに危険分子とみなした人間を一方的に弾圧するやり方は権力による暴走以外の何物でもないし、言論や思想の自由も失われ公平さの欠片もない裁判、人間を平気で “獲物” と表現する部隊員らの麻痺した感覚には嫌悪感しかなかったが、それと同等に目についたのは、確保された側の反体制を謳う者の崩壊したロジックの情けなさだった。
 反暴力を短絡的な暴力的手段で訴え、安易に人々の恐怖を煽り、反戦の動機がどこかピクニック気分であったり、自分が罪なき人を殺したことについても体制の責任だと言う。中には傾聴すべき核心をついた意見もあり、並べる単語はまともなのだが、どこか無軌道で何をしだすか分からない危うさを滲ませていた。
弾圧の肯定など出来ようもないが、立ち向かう者にも手放しで同情できない不満を覚える。

 体制をコントロールする権力と、体制の方針や指示に従うだけの部隊、そして自由を奪われ・命を脅かされる人間。
   相手への無理解からそれぞれが不安に駆られ、恐怖から暴力的な言動に走り、相手の憎悪を増幅させ、新たな恐怖と暴力を生む。決して一方的ではなく、憎悪が生まれるメカニズムを浮き彫りにしたような作品だ。

 監督のコメントのとおり「人々に問題意識や関心を持ってもらい、ポジティヴで活発な議論を促すこと」が目的であるなら、十分な素材であると思う。
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