ブタブタ

無垢の祈りのブタブタのネタバレレビュー・内容・結末

無垢の祈り(2015年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

フミ(福田美姫)のあまりにも悲惨な日常と異常な連続殺人。

原作既読ゆえ結末は分かっているので見てる間兎に角「早く終わって欲しい」と思ってました。
矛盾してますが、それ程フミが味わっている地獄の様な毎日の絶望感と逃げ場のない閉塞感が酷すぎて辛すぎて、殺人鬼の登場で一刻も早く終わる事を祈ってました。

ラースフォントリアー監督の『エレメント・オブ・クライム』の金色のモノクロ映像も美しかったですが、この亀井享監督の独自なグリーンの映像・風景が壇蜜さん主演の『私の奴隷になりなさい』でワンカットだけあったのですが(笑)今回は全編に渡って見る事が出来ました。

インダストリアルな夜の工場地帯の美しさとそこにかかる低いノイズの効果音。
舞台は川崎との事ですがトーンを抑えたグリーンがかった映像処理の寒々しい画面と巨大な工場が並ぶ風景が幻想的で現代日本ではない様な、近未来の都市や『エレファントマン』の19世紀末ヴィクトリア朝のロンドンみたいな退廃都市、異世界感や非現実的で物語の雰囲気を高めていました。

生きながら解体されて半分以上身体が無くなってるのにうう~と呻き声をあげる人間は『野火』で蛆が湧いて死体だと思ったら生きてた兵隊のシーンに匹敵するグロテスクかつ嫌~なシーンでした。

『エレメント・オブ・クライム』では「宝くじ売り少女(つまり娼婦)連続殺人」を追う刑事が少女娼婦を囮に使い犯人を捕まえようとするのですが『無垢の祈り』ではこの「刑事」と「少女」の役割が一人の人間・フミによって行われている様な、殺人現場を訪れ遺留物から警察でも辿り着けなかった被害者を特定し、殺人現場を次々と回っては殺人鬼の痕跡を求めメッセージを残して犯人の出現を待つフミの行動は、その目的は違えど殺人鬼に肉迫して行くその様子はある意味「探偵」になっていたと思いますし、ラストにはフミのメッセージに応える形で(ただし、原作ではそうなのですが映画でははっきり描かれず)遂に現れる「殺人鬼」と犯人に辿り着いた「探偵」であるフミの邂逅も待っています。

『パンズ ラビリンス』では主人公は死に、しかしその心は幻想の世界で救われたと思ったのですが『無垢の祈り』では現実の世界に幻想の世界の住人とも言える「殺人鬼」が現れ主人公を「救う」。

空想や夢の世界ではなく本当に「怪物」「救世主」が現れてヒロインを救うと言う「絵空事」をこれ程悲惨な陰惨な物語として描いたラストは、ファンタジーでありハッピーエンドでありバッドエンド。
その全てを内包したこれ以上ない結末だったと思います。

フミにとって、この殺人鬼は己の置かれた余りにも悲惨な状況、暗黒の地獄の様な世界を終わらせる事ができる唯一の存在、「神」に等しいモノでしょう。
ラストで正に「顕現」し自分を苦しめ続け、そして母親にまで見捨てられる原因となった義父を一撃の下に殺す殺人鬼は物語でいうところの「デウス・エクス・マキナ」であったと思います。

ただ欲を言えばクズオヤジをぶち殺すシーンは映画では一撃で横に吹っ飛ぶだけでしたが、原作では殺人鬼が振り下ろした鉈で頭がスイカみたいに真っ二つに割れて二股になった舌がピクピク動くと言う『物体X』ばりの人体破壊描写だったので実写で再現して欲しかったです。

フミ程ではなくても、いえ実際にはフミ以上に悲惨な状況に置かれた子供達が現実に沢山居ると思うとますます悲しくなります。

性的虐待の傀儡人形を使ったシーンは倫理的な理由もあるでしょうが、それとは別に余りにも悲惨な目に合うと「これは自分ではない」と精神が分離して「他者」のモノにしてしまう。
性的虐待を受けた子供に現れる現象だそうです。

それと原作にはないシーン。
どこかの物置で胸に番号を付けた作業着(?)を着た片目の女性が首吊りロープを前にして立っているのを見るフミ。
もう一つ、最後の工場で義父に性的虐待を受ける傀儡人形(自分)を見つめるフミ。

最後のシーンは直後にフミ自身が同じ状況になる、と言う事はフミは未来の光景を幻視していたとしか思えないので、あの片目の女性は左目を潰されたフミの未来の姿であり殺人鬼と行動を共にしたフミも殺人に手を染め最終的に死刑になるという事なんでしょうか。

だとすると原作にあった僅かばかりの「救い」も映画版には無くて余計悲しくなります。
ブタブタ

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