ナガノヤスユ記

はじまりへの旅のナガノヤスユ記のレビュー・感想・評価

はじまりへの旅(2016年製作の映画)
3.5
近ごろの自分の脳みそに素直に従って文化人類史的に考えると(笑)、ジャレド・ダイアモンド言うところの小規模血縁集団が、外圧によって否応なく変化を迫られるその様を、現代家族劇に換骨奪胎したという感じ。
たとえば、序盤では狩猟採集型に限りなく近かった生活スタイルが、最終的には定住型の食糧生産型スタイルに移行しつつあったりとか。
ニーチェからチョムスキーまであらゆる社会哲学をさんざ引用してまでやりたかったのは、父親(というよりビッグマン)の集権的な子育てを糾弾するといった教育テレビ的なことではなくて、色んな差異を孕みながらも、それでも確実に画一化しつつある現代社会のあり方を、ひとまず家族という視点から対象化しようって試みでしょう。とりあえずこんな議論は今尚可能ですよねってボンと置いてみた感じ。いかんせん踏み込みは弱いけど、このサンドバッグになってくスタイルは嫌いじゃない。

父親の言動がちぐはぐだったり、筋が通らないように思えるのも、いいんですよそれで。ヴィゴ・モーテンセン演じるあのキャラクターは、双極性障害で命を絶った妻の幻想にどっぷり没入してしまってる、自身ひとつの精神疾患状態なんですもの。
だいたいあれだけ博識な人物が、双極性障害への対処療法で「森で生活しよう」ってもうそこら辺から既に色々おかしいんだから。
もちろん双極性障害みたいな精神状態は、資本主義とともに生まれたわけでも近代とともに現れたわけでもなく、多分中世にも先史にも、山の中にも森の中にも、少なからず存在したはず(エビデンスはない)。
それでも夫が妻の死を解釈する過程で、資本主義や現代社会を敵視するのはわかる。ほめられた態度ではないけど。

問題はこの映画を見て、「この父親はおかしい」とか「子どもが可哀想」とかその逆もまた然り、無邪気に言い放ってしまう方々で、そういう物事を対象化する術をまるで知らない人のイデオロギーには、1分とて耳を傾ける価値がないことだけは確かだ。

とはいえやはりあの父親のやってることは中途半端で、近代を超えてもいなければ、脱けだすこともできていない。小規模血縁集団のビッグマンは、おかしくなった妻に先立たれたとしても、なんら狼狽えることはない、すぐさま娘を妻にするだろう。どうせならそれくらいはやってもいい。