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グレイテスト・ショーマンの映画を見る猫のレビュー・感想・評価

グレイテスト・ショーマン(2017年製作の映画)
3.5
ぺてん師と罵られても「出てくる人たちが笑顔ならそれでいい」という主人公の台詞に、映画館と添えれば、確かに、この映画の批評そのままである。
それでもなお、あえて考えてみるこの映画の不思議。
それはバーナムがすごくフリークスたちに慕われ、驚くほど寛容に許し受け入れられる点だ。
主人公、それほど人望や徳があるキャラクターではない。野心家で独善的で自信家でビッグマウス。彼らが友情を築くシーンもあまりない。
しかし主であるバーナムを絶対的にフリークスが慕うという揺るぎない構図。
ここには帝国主義という歴史の過ちが、当然許されるという有無を言わさない暗黙の了解が存在するというのは、あまりに穿った見方だろうか。
この感動の文法は、疑問の余地をもつことすら許されない。フリークスは彼を慕い、感謝する。これはそうでなくてはいけないのだ。
どんな史実も美しくするのは簡単だ。
この映画が描く同時代に開かれたパリの万国博覧会のパブリオン。その中には「珍しい」異国の人間の展示があったという話を思い出した。
そこで、我々日本人は展示の対象だった。
展示された1人の芸者。彼女に青年がプロポーズをしたという事実がある。そしてこれをもとに1つのラブストーリーを後年描こう。
「展示されたお陰で彼にプロポーズされました。感謝します」
と芸者に涙を流させ、台詞を添えようとするのは、おそらく彼女を展示する側にある人間だけであろう。
それは圧倒的な強者によって作られた感動のストーリーのスパイスになる。
歴史をたどれば、自分と違う存在を受け入れることがどれ程、難しいか、わかる。宗教、人種、性別...今もなお、何故異なる存在を受け入れることが出来ないのかという苦悩で満ちている。
だからこそ、この映画はヒットする。
大団円の驚くほどのハッピーエンドは、誰もが喜ぶ心地よいファンタジーを約束してくれるからだ。
しかし果たして現実は、これほど美しいものだろうか。
1930年代に作られた『フリークス』という映画は、奇形を売り物にしている「本物の」人々の姿があまりにグラフィックで、30年間封印されたカルト映画になった。
この映画は絶対にそんなことにはならないだろう。美しくて、楽しくて、泣けて、笑える映画だ。
何故って、言うまでもなく、最高に魅力的なぺてん師の映画なのだから。