すでに第二の人生を歩まれてはいますが ドキュメンタリーの傑作かと
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安川祐香によって語られた出来事は、全て痛みを伴った事実なのに、映画というフィルターを通るとフィクションになってしまう。
ドキュメンタリーと言えど、プロダクションワークの過程で、監督が切り取った作品になるのだ。
プロレスのリングで起こっていることもまた、痛みを伴うフィクションだ。プロレスは相手の技を敢えて受ける。プロレスの受け身をバンプ(英:bump)と呼ぶが、スペクテイタースポーツとしてのプロレスを成立させるためには不可欠な要素である。
安川祐香の半生はまさにバンプの歴史と言っていい。彼女はすでに人生においてプロレスをしてきた生粋のプロレスラーだったのだ。生きぬくためのバンプ。
この作品とプロレスは、構造的に驚くほど似通っている。
鑑賞者は上映時間中、スクリーンの向こうのヒロインに恋をして、エンドマークとともに現実の世界に引き戻され、失恋するわけだが、この作品のヒロイン 安川惡斗は映画が終っても、リアルな世界に実在し続ける。この事実は、例えようもないほどに嬉しい。
『がむしゃら』はあの稀代のプロレス映画『ビヨンド ザ マット』に匹敵する大傑作である。プロレスを知らない監督が撮影したからこそ、ここまでのものになったのだと確信する。