いわし亭Momo之助

サタデー・ナイト・フィーバーのいわし亭Momo之助のレビュー・感想・評価

3.5
ブライアン・デ・パルマの『キャリー(Carrie)』の巨大看板を地元で見たのが中学の時なので 高校生の時に公開された『サタデーナイトフィーバー』は トラヴォルタ初の主演映画 ということになる。デビュー作では当然 ない。今回 ディレクターズカット4Kデジタルリマスター版が公開され 初めて映画館で きちんと鑑賞した。

広告戦略の印象から ただただ 唄って 踊って ディスコでフィーヴァー的な 無いに等しいストーリー展開を想像するが 実は全く逆で 同時期に公開された『グリース』(ま ミュージカルだからなぁ)やよく引き合いに出される『フラッシュダンス』(今回 同時公開)などとは 比べ物にならないくらい ほろ苦く スカッとしないこと 甚だしいドラマになっている。
労働者の街ブルックリンに暮らすトニー・マネロの日常をリアルに描いて クスリとさせられるエピソードが満載であり その一つ一つが愛おしい。特に家族の食事のシーンは こうした映画の定番だと思うのだが 食事シーンの会話を通じて イタリア系移民の家族の絆をしっかり描いていている。多くの批評で さえない毎日を送る 変化のない毎日にうんざりしている といういい方がされているが これは映画のニュアンスとはかなり違うように感じる。トニーは結構 良い奴で 父親に反発することはあっても 基本的に 神父を辞めて帰ってきた兄のことも含めて 家族のことを凄く愛していて 20歳前なのに ちゃんとペンキ屋で仕事をしている。店のお客の間でも人気者で 店主との関係も悪くない。ただ 若い間は 昨日と同じ毎日が繰り返されることの幸せに気づけないのだ。必然 ケの毎日に対する ハレ を必要とする。それが 週末のオールナイト ディスコである。平凡な若者が この瞬間だけはディスコ キングになれるという ある種 若者の夢そのものである。
オープ二ングでペンキ缶を手に 颯爽と登場するトラヴォルタの小粋なステップ。同時にスタートする名曲「ステインアライヴ」から この作品の魔法は既に始まっている。トニーはすれ違う女の子達が気になってしょうがない という演出も実に楽しい。
トニーの部屋に貼られているポスターも 正にこの時代のこの世代の若者の部屋だ。『燃えよドラゴン』の地下牢でのブルース・リー、1970年代のアメリカ合州国のセックスシンボルなのにヌードどころかビキニですらないファラ・フォーセット=メジャース(これって日本で言えば 麻田奈美の「りんごヌード」だろうなぁ もちろんセクシー度は麻田奈美の方が数十倍上)、『ロッキー』の映画のポスター、『セルピコ』のアル・パチーノ、等々。トニーと連れの会話にも “ブルース・リーを見に行こうぜ” というのが出てくる。

トニーは何の努力もせず 生まれ持った才能だけで ディスコ キングになっているわけではない。日々の練習も怠らず 実に真面目にレッスンに通っている。努力家なのだ。元カノのアネットとの関係が また微妙な距離感を上手く描いている。アネットは身体を与えれば トニーが振り向いてくれると思っていて 実際 この年代の若者の頭の中は9割以上セックスのことばかりだろう と思われるし トニーの連れは ガールフレンドが妊娠したことに四六時中 悩んでいたり トニーに相手にされないアネットを輪姦したりする(ここらへんの描写は 相当問題ありで 凄い)。だからこそ トニーのディスコにかける思いは相当に真剣で 物凄く特別なことだと良く分かる。トニーにとって ディスコ ダンスコンテストでの優勝は 底辺から抜け出す第一歩であり 突然 現れたダンスの名手 ステファニーをパートナーにしようと懸命にアプローチする。
ヴェラザノ=ナローズ橋を挟んで 河一つ隔てただけで 何もかもが対照的な労働者の街ブルックリンと裕福で都会的なマンハッタン。そこでそれぞれ暮らすトニーとステファニー。コンテスト優勝 という共通の目的で結びついたドライなカップル(もちろん 映画的な展開があり 二人の関係はどんどんウエットに変化する)の対比は 当時のアメリカ合州国の格差社会をも 執拗に描き出していくのである。
それにしても ステファニーというキャラは かなり嫌な人物として演出されていて 基本的に虚言症じゃないのか と思うほどに自慢話が凄い。相当な見栄っぱりだし 基本的にトニーのこと ブルックリンという街そのものをバカにしている。しかし 彼女自身 キャリアウーマンとしては相当 無理に無理を重ねているのも確かで ドラマの終盤では 実はディスコで踊ることやスタジオでのレッスンは 彼女にとっては癒しの時間であったことを告白する。トニーは シンプルに年上で 何だか良く分からんが凄い! みたいなステファニーに憧れがあり 代わり映えのしない女友達で その気になれば簡単にセックスの出来るアネットに対するのとは 全く違う特別な思いがある。

ドラマは コンテストに優勝するも これはホームタウンデシジョンであると勘づいたトニーが自暴自棄になり ここから大きく動く。この作品は 少年期への決別という 誰もが経験するイニシエーションを描いており その結末はある意味 最悪であり またリアルでもある。それだけに トニーとステファニーが友情を軸とした新しい関係性を築こうとするエンディングは 未来への希望に満ちている。エンドタイトルで流れる「愛はきらめきの中に」がまた名曲で これだけ後味の悪いドラマながら なんだかいい映画を見たような気分にさせられるのは ビージーズが実に良い仕事をしている ということなのだろう。この作品が ミュージカルでもないのに稀代の音楽映画の様に喧伝されている理由も ここにある。