いわし亭Momo之助

シン・仮面ライダーのいわし亭Momo之助のレビュー・感想・評価

シン・仮面ライダー(2023年製作の映画)
3.5
シン・〇〇シリ―ズ 最終作?? 
『シン・ゴジラ』と『シン・ウルトラマン』の出来がこちらの期待値を大きく上回るものだったし 今回 ついに庵野秀明御自らメガホンを取る ということもあって もちろんハードルは上がりまくっていた

『仮面ライダー』は1971年4月3日から1973年2月10日まで 毎日放送・東映制作で 毎週土曜日の夜 7時半から30分番組として放送されていた(当時 毎日放送は千里丘にあり 第7話 「死神カメレオン 決斗! 万博跡」が 万国博覧会跡で撮影されたのは 実に感慨深い)。いわし亭が小学校4年生から5年生の2年間 仮面ライダーは人生の全てであった。もらった小遣いは その全てが仮面ライダー スナック(トレーディングカードの走り! 当時 仮面ライダー スナックを 箱ごと谷に捨てる小学生が激増 社会問題になった(笑))をはじめとする関連菓子と今は絶滅した駄菓子屋の5円引きブロマイド 講談社のテレビマガジン 等々等々に消えた。そして この2年間は  1973年12月22日 『燃えよドラゴン』公開という運命の日の前段にあたり 徒手空拳のヒーローを迎える大いなる助走となった。オタクという言葉が出現する何十年も前から いわし亭は仮面ライダー オタクなのであり 仮面ライダーへの愛は 同世代の庵野秀明にひけを取っているとは思えない。だから今回は その愛をもって はっきりと苦言を呈したい

まず 庵野秀明は監督として一流なのか? 非常に疑問である。よくよく考えてみると 『シン・ゴジラ』も『シン・ウルトラマン』も 映画制作の現場で芯を取っていたのは 樋口真嗣監督だった。ジョージ・ルーカスが監督としては決して有能ではないように 庵野秀明もむしろ 総監督や脚本といった全体を俯瞰するようなポジション あるいはそのネームヴァリューを生かした資金調達 で関わる方が 良い結果に繋がるのではないか という気がしてきた
予告編を見るたびに ダメかもしれない という不安を感じたのは 俳優陣のB級感である。現在 東映が春休みや夏休みや冬休みに制作している新しい仮面ライダー シリーズには 何故か 毎回毎回 芸人が俳優として出演しているが あれが 作品の本気度を大きく損なっている
今回も 松尾スズキや塚本晋也とかが 出ていて あれで かなり出鼻をくじかれた感があったが それ以上に 主演の二人 池松壮亮 柄本佑が しっくりこなかった。決めのポージングがサマになっていない のは予告編の段階からスゲー気になっていたけど この二人または中の人 手足が短くて相当カッコ悪い。こういう感想を持ってしまった時点で そもそもヒーロー不適格であって 今更ながら 長身で今風の横浜流星 福士蒼汰(何とこの二人 もともと仮面ライダー出身!) 目黒蓮 辺りに演じてほしかった と痛切に思う。あと 森山未來は 踊れる分 戦闘シーンに入るまでは非常に優雅に魅せたが 最後は 子供の喧嘩まがいのグダグダ(苦笑) 演出レベルが低過ぎて もったいなかった。
一方 女優陣は圧倒的に良く ツンデレの究極 浜辺美波は この人が出ているから 劇場に行った と言っても過言ではないくらい 今作の救いになっているが 『鳩の撃退法』からこっち 感心しかない西野七瀬(ハチ女はある意味 非常にセクシャルで 子供心にも背徳感満載の怪人であったと記憶する。戦闘中に羽根が広がるシーンが美しかった)と『シン・ウルトラマン』でのセクハラ問題も何のその ワンポイントながらサソリ女(オーグ)を怪演した長澤まさみも素晴らしかった

ウルトラマンのスペシウム光線の様に 一旦 放ったが最後 完全殺戮しかないような絶望的な攻撃ではなく 仮面ライダーは シンプルに 殴る 蹴る といった原始的なやり方で あくまでも戦闘員(彼らは拉致されて 洗脳を受け 無理矢理 戦闘員にさせられているから ある意味 被害者なのだ)を殺さない方向で戦っている。また 必殺技を受けた怪人が爆発するのは 捕虜となり 改造手術の秘密が漏洩するのを防ぐための自爆(ベルトが自爆装置になっている)であり 仮面ライダーの必殺技は 怪人に対してですら どれも 即死するような攻撃ではない。まぁ サイクロン号でそのままぶつかる(!)~サイクロンクラッシャー という技らしい という掟破りはあったが(苦笑)
島本和彦『炎の転校生』の主人公 滝沢昇のライバル 城之内考一の必殺技 殺虫パンチ(敵をコーナーにまるでゴキブリをスリッパでつぶすように叩きつけるパンチ)じゃあるまいし ライダーキックは当たった瞬間に 怪人が機能不全に陥るのであって 蹴りの状態を保ったまま壁に叩きつけるまで飛翔し続けるなんて 全くもって余計な演出である
PG12の指定があり 何だろうと思っていたら 冒頭から 一撃で血の雨が降る大殺戮シーンの連続で これは もはや笑うしかない状態だった。戦闘員 哀れ過ぎだろ… ただ この血まみれの戦闘シーン 実は最初のクモ男(オーグ)のエピソードだけで 以降は これほど直接的な描写は出てこない。本郷猛が自身の殺傷能力の高さに自身で驚く という重要なエピソードなのだが これは 彼がパワーを全開にしない という学びのきっかけでもあり 同時に シン・仮面ライダーのテーマの一つである仮面ライダーの攻撃は 正義の名の元に行使される究極の暴力であり 暴力による解決を真正面から描くことで 逆説的に 単純なヒロイズムを否定し ただただカッコいい みたいな表面的な感想を持てなくしている という見方もできる。ロシアのウクライナに対する軍事侵攻への視点は正にこれに重なるし 正義を名乗る権力が 最終的に どのような行動に出るのかは もはや明白なのだ
しかし しかしである いわし亭はやはり 先に述べたテレビ版の 完全殺戮という最悪の結果を回避するために 武器を使わず 手足を駆使して戦う という仮面ライダーの基本姿勢は 視聴のメインターゲットが子供たちだったということも含めて 正しい選択だった と思う。だってさ クモオーグをきりもみシュートで投げ飛ばした後 ライダーキックでとどめ! という流れは 個人的には超好きな展開だもんね。やっぱ カッケー! って思っちゃった(苦笑) 1号はテクニックの 2号はパワーの仮面ライダーなのだ。で V3はというと 主題歌にもある様に ♪ 力と技の風車が回る ♪ のである

SHOCKERが 何て??? 何て??? ゛人類の幸せを求める組織 ” ということで Sustainable Happiness Organization with Computational Knowledge Embedded Remodeling の略称 って 普通にアホか と思う。50年前には 全くなかった 持続可能な という思想まで盛り込んだこの良く分からない名称の上書きは 正に掟破りだなぁ と感じるが 反対に ゛仮面ライダー=本郷猛は改造人間である。 彼を改造したショッカーは 世界制覇を企む悪の秘密結社である。 仮面ライダーは人間の自由のために ショッカーと闘うのだ! ” って 悪の秘密結社なる物言いは 令和の世においては もはや陳腐さの究極であり リアリティの欠片もない。実際には ドラマのショッカーよりもはるかに悪辣な組織は リアルに実在する。五つ 六つくらいなら すぐさま挙げられるが まぁ やめておこう(笑) その意味で ショッカーそのものを アップデートする必要は確かにあった。結果 何ともお見事な胡散臭い宗教的なニュアンスを身に纏い いかにも 令和風になっている
『シン・ゴジラ』『シン・ウルトラマン』は両方とも架空の作り話にしては 非常にまじめに設定を考察し(自衛隊がゴジラと戦ったらどうなるか? とか ゼットンの吐き出す火玉は一兆度という設定だが これ実際にはどれくらいの威力があるのか? とか) 新しい造語を膨大な量で作り出し リアルに徹することに滑稽なくらい忠実であった。ところが この『シン・仮面ライダー』は なるほど造語に関しては 先のSHOCKERも含め 相変わらずの ??? の洪水状態 鑑賞者はいつも通り置いていかれるが リアリティという点において 50年前のテレビ版と変わらないレベルなのは どうしたことか? 一番 気になったのは あのガランとした『プラン9・フロム・アウタースペース』ばりの 学祭の演劇に出てくる倉庫のようなアジト。しかも さほどの苦労もなく簡単に入れちゃうのも どうよ? と思う。これも テレビ版へのオマージュとか 言い張るのは なし ね
怪人をシンプルな ○○男 ○○女 からオーグ(メント)と言い換えて ナマの生物兵器感ではなく 機械感を出したのはイマイチな変更点だった。それぞれのマスクのメカニックな感じは 『シン・ウルトラマン』の 禍威獣が使徒を思わせるデザインだったのに通じるところがある。仮面ライダーって もともと 昆虫はモチロン 生き物を沢山 紹介する という裏テーマがある と どこかで聞いたような気がする(これ 不確定情報す)が そうだとすると このメカニックなデザインは 昭和仮面ライダーのテイストとはずいぶん かけ離れているのである

現在 『シン・仮面ライダー』の公開を機に 初期のエピソードを深夜放送しているが それを見て いまさらながら驚かされるのは 本物のダイナマイトを使って爆破シーンを撮影していたり 橋の上でのアクションシーンで バンジージャンプ並の高さから川に投げ落とされたり 自分から飛び込んだり 危険極まりないことを 当たり前のようにやっていることだ。当時の ゛少年マガジン誌 ” で このダイナマイトのシーンがいかに危険か ということが解説されていたが バイクで激走した場所が バイクの通過後に爆発するわけで ほんの数秒でも タイミングがくるったら大事故必至なのだ
いわゆる『ハリー ポッター』や『わたしの幸せな結婚』の様な呪文や異能で モノを動かしたり 破壊したりする場面では 件の魔法の杖をかざして 呪文を唱え 当然 実際には何も起こっていないのだが まるでそうなったかのような演技をして 後程 オプティカル処理で 場面を仕上げる。ところが 映像に説得力が乏しいと 撮影している時のアクターの間の抜けた姿が 想像出来てしまい すっかりシラケてしまう。この感覚は CGで作られた映像を見た時も同様で いわし亭が何でCGをこれ程 毛嫌いしているのか 今回 初めて自覚できた
『仮面ライダー』は 千葉真一の率いたJAC(ジャパンアクションクラブ 弟の千葉治郎~後に矢吹二朗に改名 が FBI特命捜査官 滝和也を演じているのも このご縁か。そういえば 名前を尋ねられた 竹野内豊が タチバナ と名乗り 斎藤工を指して こいつは タキ と紹介する件には ちょっと ニヤッとさせられる)と大野剣友会がアクションを担当しており 当時のテレビドラマのアクションシーンの中では抜群の説得力を誇っていた。予算の関係もあるだろうに 毎週あの説得力をキープしていたことは正に奇跡に近い。ドラマの荒唐無稽さ 子役のチープな演技等を不問にすれば 仮面ライダーは 何もかもが 本物の凄みで出来上がっていたのだ
ただ先のダイナマイトを使ったスタントなどは 明らかにやり過ぎで 令和の現在 出来るとしてもOKは出ないだろう。これを昭和の過剰な勘違いによるコンプライアンス違反 と批判するのは容易いが いわし亭はあの涙なしには鑑賞できない驚異のドキュメンタリー『カンフースタントマン 龍虎武師』を見てしまっているから たかだか映画のワンシーンに マジで命を懸ける彼らの心意気を 令和の価値観で切り捨てることには 大いに躊躇する
話は変わるが 年号が令和になってからこっち スパルタ教育の弊害が あちこちで喧伝されるようになった。どんなことがあっても 体罰はいけない ということなのだが 昭和に この思想が普通にあったとしたら『仮面ライダー』は あそこまでのトラウマ作品には ならなかっただろうことは 想像に難くない
そうしたリアルなアクションシーンがウリだった『仮面ライダー』をCGばかりで描くことをヨシとした判断は だから明らかに間違いである。しかも このCG マジで腹立つくらい出来が悪い。コウモリ男(オーグ)が羽ばたくシーンは あまりの酷さで見ていられないし 終盤の見せ場である仮面ライダーと改良型バッタオーグ(後の仮面ライダー第2号)の空中戦など チャカチャカ 遠くに行ったり 近くに寄ったり 蠅か何かが ちまちました小競り合いを 繰り返しているという風情で 呆れる
filmarks の別の批評で ヤムチャ視点 という表現があり 確認してみると → 主にバトルやスポーツ作品において 極端にレベルの高い実力者同士の対戦を 人並みの傍観者が見た際に起こりうる現象。当事者たちからすれば普通だが 傍観者の我々からすれば その激しい攻防に動体視力が追いつかず 戦況どころか両者の姿すら目視することが出来ない状態 とあり なるほど と合点がいったが 果たして映画館に来た人たちが こんなしょうもないシーンを望んでいるだろうか? 本当の意味で 『仮面ライダー』に敬意を払うのであれば この最終決戦あたりからのアクションシーンは 実写で制作するべきであり CGでまかなうなど ありえない
アクションシーンのチープさに比べて バイクの激走など それ以外のシーンが非常にリアルに撮れているので このチープさは 敢えてそうしたのである と愚にもつかないフォローを入れている批評もあったが 少なくとも いわし亭はそんなシーンなど 見たくない

子供心に衝撃だったのは 身体は仮面ライダーなのに 仮面を小脇にかかえた素顔の一文字隼人のブロマイド。あれを理解するにはずいぶんかかったなぁ(笑) 要は仮面は バイクに乗る時のヘルメットと同じ意味だったんだよね。例えば あれをウルトラマンとか 怪獣とか怪人がやったら 子供の夢を壊すな 的な批判に直結するのだが 仮面ライダーだけは あれがOKだったのだ。今回の『シン・仮面ライダー』では マスクをメカニカルに脱ぐシーンが やたらと連発するが その辺りの事情がよく分かって良い
もう一つの疑問は 仮面ライダーと他の怪人との設計思想が 違い過ぎる点。これは 作中 改造手術を施した学者というのが複数名いて 彼らが独自の研究の末 改造手術を行っているから 怪人によって設計思想が違うのは当たり前なのだ というところで 腑に落ちた。実際 本郷猛をバッタ男(オーグ)に改造した緑川博士は すでに亡くなっているから あの設計思想のオーグは3人(チョウオーグ←仮面ライダー0号 とバッタオーグ1号 2号←仮面ライダー1号 2号)しかいないことになる。なるほど~ めでたしめでたし

ドラマは 石ノ森章太郎の原作に意外にも忠実で 孤独と向き合いながら 人工知能となった本郷猛とともに 戦い続ける一文字隼人を俯瞰でとらえて終わる。不満なところも沢山 沢山あって ここまで 苦言ばかりになってしまい申し訳ないが それでも 意外や意外 最後まで楽しめたのは やはり庵野秀明監督自身が 楽しんで制作していたことが 画面の端々から伝わってくるからだろう。むしろ こうした仮面ライダー愛のない映画ファンに 四の五の言われたくはない という気さえする
遥か彼方から物凄いスピードで接近するライダーキックなど ピンナップしたくなるシーンも多く 結局のところ いわし亭自身 小学校4年生の時からボンクラのままで 全く成長していなかったことを痛感した次第。一時の夢を見せてくれた 庵野秀明監督には ご苦労様でしたと その労をねぎらうとともに 大いに感謝したい

いわし亭 最愛のT.REX マーク・ボランが来日公演の際 テレビで『仮面ライダー』を見て 大ファンになり イギリスに帰って制作した新作タイトルが『ズィンク・アロイと朝焼けの仮面ライダー』(原題:Zinc Alloy and the Hidden Riders of Tomorrow)というのも ファンとしては嬉しい限りである。このアルバムからは「ティーンエイジ・ドリーム」(原題:Teenage Dream)が全英シングルチャートで13位となった(アルバムは12位)。ボランはシングル盤を意図的にアルバムに収録しなかったが この時期のシングル盤は「The Groover 」「Midnight 」「Truck On (Tyke) 」「Sitting Here」「Satisfaction Pony」と重要曲が目白押しである
アクションシーンで 菊池俊輔のあの「レッツゴー!! ライダーキック」が流れると昭和のボンクラおやじは 血沸き肉躍る何が何だかよく分からない状態が避けられないのだが 『シン・ウルトラマン』であれだけ没になった初期設定にこだわったわりには  なんで藤浩一(後の子門真人 売り上げ枚数歴代1位~推定500万枚 のシングル盤『およげ! たいやきくん』を歌唱)ヴァージョン(つまり 仮面ライダー2号が出現した第14話以降のヴァージョン)なんだ? ここは もちろん 藤岡弘、ヴァージョンを採用すべきだろう。藤浩一の圧倒的な歌唱力に比べると かなり不利なことは否めないが あの味わい深い歌い回しには 捨てがたい魅力がある